
日本には、結婚・出産などの慶事に「ご祝儀」を渡す慣習があります。その際、感謝の気持ちを込めたお返し(=内祝い)として、いただいたお祝いの半額程度を返礼する「半返し」から3割程度を返礼する「3割返し」が暗黙のマナーとされています。
日本特有の「見返りを求める」価値観
内祝いを用意する側にしてみれば、いただいたギフトの金額を調べるのはなんだか野暮な気がするし、送った側は返礼品(のおおよその金額)が想定と違うと落ち着かない気持ちになってしまう……そんな経験をしたことがある人も多いのではないでしょうか。日本語には「あげ損」「もらいっぱなし」という言葉があります。これらは、「自分はあげたのに見返りがない(ため、損した気分になる)」「もらったのに、お返しをしていない(ため、申し訳ない気分になる)」状態のことですが、これらはヨーロッパの言語にはほとんど見られない表現です。
こうした言葉が日常的に使われていること自体が、贈与と返礼が必ずセットであるという日本特有の文化的価値観を物語っています。
ヨーロッパに根付く「見返りを求めない贈与」
他方、ヨーロッパ(特にキリスト教文化圏)では、贈り物や寄付は基本的に「無償の行為」として捉えられることが多いようです。「見返りを求めずに与える」というキリスト教の精神が根付いており、そこに損得勘定を持ち込むこと自体があまり好まれないのです。例えばクリスマスのプレゼント交換は楽しむ要素が強く、金額や回数が釣り合わないケースもあります。バレンタインデーの「お返しをする日」としてホワイトデーが根付いている日本とは好対照と言えるでしょう。
このように、ヨーロッパでは「プレゼントしたのに返ってこなかった」という感覚が日本人と比べて希薄なようで、むしろ「善き行いをした」という自己満足や善意の実践として完結しているように見受けられ、この精神は教会を通じた寄付やボランティア活動にも表れています。
日常的に見返りを求めず他者に与える行為は子どもの頃から浸透しているようです。
スイスの小さな村で見た「寄付のオンパレード」

素朴な焼き菓子のスタンドに、通りがかった高齢者や子連れ女性たちが、何のためらいもなくにこやかに20フラン(約3500円 ※参考:177.41円/1スイスフラン、2025年6月13日時点)、時には50フラン(約8700円)をぽんと渡していくのです。中には寄付するだけで焼き菓子すら受け取らない人もいて、支払ったお金は焼き菓子の対価というよりも子どもたちへの応援の気持ちであることは明らかでした。
2時間程度の販売で集まった金額は900フラン超(約15万7000円)と、まさに見返りを求めず“与える文化”を目の当たりにした出来事でした。
「ふるさと納税」に見る、日本的“お返し”の制度化
このヨーロッパのエピソードと対照的なのが、日本のふるさと納税です。制度上は「寄付」とされるふるさと納税ですが、実際には税金の控除が受けられるうえ、寄付先の自治体からは豪華な返礼品が送られてきます。
この構造は、まさに「あげたら返ってくる」ことを前提とした日本の贈与文化の延長線上にあるのではないでしょうか。
寄付というよりも、税金を納めるついでに何かもらえるお得な制度として認識・活用されている点に、日本人の見返りを求める心理が反映されているとも言えるでしょう。
善意の裏側で戸惑う瞬間も
とはいえ、ヨーロッパでの善意文化が常に心地よいとは限りません。例えば駅や電車、街中でアグレッシブにお金を無心してくる人々に出会うことも多々あります。人の都合も気にかけず執拗に話しかけてきたり、押し付けるように自らの哀れな境遇を語りかけてくる人々の姿に、日本人としては、思わず身構え、恐怖を感じてしまうことがあるのは事実です。
「無償の贈りもの」には美しさがある一方で、それが強制的に“求められるもの”に変わると、受け手によっては違和感や警戒心を覚えてしまうこともありそうです。
日本の贈答文化は、相手を気遣うという美しい側面を持ちながらも、ときに半返しがないことに対して割り切れない場面もあります。そんな時、ヨーロッパの見返りを求めない精神を思い出してみると、少し心が軽くなるかもしれません。
この記事の筆者:ライジンガー 真樹
元CAのスイス在住ライター。日本人にとっては不可思議に映る外国人の言動や、海外から見ると実は面白い国ニッポンにフォーカスしたカルチャーショック解説を中心に執筆。All About「オーストリア」ガイド。