4:監督自身の「実人生」を通した意義を感じる作品に
本作は、コラリー・ファルジャ監督と主演を務めたデミ・ムーアの「実人生」および「学び」とつながっているといえます。それでこその説得力と意義があるのも美点でしょう。
アクション映画『REVENGE リベンジ』で40歳にして監督デビューを果たした当時、「もう終わり、自分に価値がない、映画界に居場所がない」と感じたほか、若い頃は自分の体が「完璧なお尻や胸じゃない」と感じたり、年齢を重ねると今度は急にシワや老化が気になったりしてしまったそう。そして「女性は人生の各段階で常に、『自分は完璧じゃない、何か問題がある』と感じざるを得ない」ことを告白しています。
また、ゴールデングローブ賞において、コラリー監督は受賞コメントにて「ある年齢に達したら価値がなくなるなんて、くだらない考えが私の頭の中にも芽生え、頭を占領していったのです。全くナンセンスだと思いませんか? そこで、本作の脚本を書こうと思い立ちました。この現実に立ち向かいたかったのです」と語っています。

本作の語り口は確かに挑戦的ですが、だからこそ監督が強く伝えたいメッセージが真っすぐに響き、その姿勢にむしろ「誠実さ」を感じました。
本作の意義は、コラリー監督と、『パシフィック・リム』などのギレルモ・デル・トロ監督の対談動画でも、はっきりと分かるでしょう。
5:デミ・ムーア自身も学んだ「十分になれない」からこその希望
主演のデミ・ムーアも、ゴールデングローブ賞の主演女優賞の受賞コメントにて、30年前にあるプロデューサーに「あなたは“ポップコーン女優”だ」と言われたことを明かしました。それを信じて受け入れ、自分自身が「このような(賞をいただくことは)許されない」存在なのだと思い込んでしまっていたともいいます。その上で、コラリー監督や「もう半分の自分を与えてくれた」と表する共演のマーガレット・クアリーへの感謝を告げつつも、「この映画が伝えていると思うことを1つだけお伝えしたい」と前置きして、こう述べています。
それは、自分が十分に賢くない、十分にきれいじゃない、十分に痩せていない、十分に成功していない、要するに、十分に足りない、と感じる瞬間についてです。ある女性が私にこう言いました。『覚えておいて、あなたは決して十分にはなれない。でも、物差しを下ろせば、自分の価値を知ることができる』
これは、後ろ向きなようで、実は大きな希望だと思います。確かに成功したい、美しくなりたい、といった要求は多くの人が持つものであるけれど、その「十分」には終わりがないのかもしれない……劇中でデミ・ムーアが「鏡」の前に立つシーンと、その場面での渾身の演技を通して、まさにそのことをまざまざと思い知らされました。
「十分」のエスカレートが極限にまで達したのが、あのとんでもないクライマックスであり、反面教師的に「こんなふうにならなくて良かった……!」と心から安心できる、「今の自分を肯定できる」構造も備えているのです。

この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。