3:登場するのは「自分をしっかりと確立した人間」だけ
では、宮崎監督が描きたかった物語およびキャラクターが何かといえば、その1つが「こうして生きることを選んだ人たち」なのだと思います。例えば、下記の言葉が根拠です。なるほど、17歳にして飛行機設計技師であり、物怖じしない性格のフィオは、まさに自分をしっかり確立しています。ジーナもまた、3回も結婚した飛行艇乗りと死別したことに「もう涙も枯れちゃったわ」と言いつつ、ホテルの女主人として、また歌手として多くの人に愛される存在です。『紅の豚』に出てくるのは自分を全部確立した人間だけなんです。フィオも揺るぎなく自分です。劇中の出来事を通じて大人になったとか、そういうんじゃないんです。自分がやることも、意志もはっきりしていて『私は私』なんです。フィオがポルコについて行くのは商売のためであり、自分が作った物に対する責任があるからです。ポルコが好きだからじゃないですよ。もっとも、嫌いだったら行かないでしょうけれどね(笑)。
『ジブリの教科書 紅の豚』P60
ほかにも、豪快でどこか憎めない空賊・マンマユート団の面々や、惚れっぽい性格でポルコと激しいバトルを繰り広げたカーチスも、みんな「迷い」を見せることはありません。登場人物たちは全員「まっすぐ」な言動をしているのです。
4:ポルコが豚になったのは「自由」「罰」のためかもしれない?
ポルコがなぜ豚になったのかは、劇中では明確にされていません。しかし、彼は自ら豚になることを選んだのではないか、つまりは自分自身に“魔法”をかけたのではないかと想像もできるところもあります。
さらには、ポルコは豚の姿になることで、3人の飛行艇乗りの夫を亡くしたジーナとは恋仲にはならない、もう悲しませたりはしないのだと、自らを「戒めていた」とも解釈できます。前述したラストで、宮崎監督が「(ポルコが)自分を許さないというほうが好きです」と言った意味(理由)も、そこにあるのかもしれません。



