6:あまりに不誠実に思えた「犯人」の顛末
幽霊になった3人は、12年前の殺人事件の被害者です。現実でも児童たちが犠牲になる凄惨(せいさん)な事件は起きており、明らかにそれらを想起させるセンシティブな題材でありながら、それを含めて作品の内容が「ネタバレ厳禁」であるというのは、同様の被害に遭った人(あるいはフラッシュバックをしてしまう人)に対しての「注意喚起」すらできない状況を生んでおり、やはり問題ではないか、とも思えるのです。さらなる問題は、劇中の「犯人」の描写です。出所した犯人に、その被害者の母親が包丁を持って、娘を殺した理由を知りたいから会いに行くという展開から納得しづらいものになっています。
それだけならまだしも、その犯人が母親を襲おうと追いかけていき、さらに犯人を「車に轢かせる」という事故で「処理」をするのは、あまりに不誠実です。「無理やりにでも犯人に報いを与えないといけない」という、作り手の勝手な都合さえ感じてしまうほどでした。
同じく坂元裕二の脚本作品である『怪物』では、客観的には「怪物」にも思える人物の多面的な視点を示す作品だったのに、この『片思い世界』は「空虚」な犯人像として単純化してしまっているように思えました。
また、強く連想したのは、2009年の映画『ラブリーボーン』です。こちらは14歳で殺された少女を主人公としたファンタジーであり、『片思い世界』と完全に同じではないものの、犯人の描き方や結末が賛否を呼んでおり、個人的にはかなりの居心地の悪さを感じてしまった作品でした。
さらに、絶賛の声が寄せられた漫画および劇場アニメ『ルックバック』でも、現実に起きた事件を強く連想させる出来事があり、こちらもネタバレ厳禁にすると注意喚起ができない、当事者を傷つけてしまうのではないかという大きな論点はあるものの、「創作」にまつわる物語としてはとても誠実なものだと個人的には受け取りました。
これらの作品と比較した上で、『片思い世界』の評価が変わる人も、少なくはないでしょう。
7:「灯台」に向かう終盤の展開の問題も
さらに問題なのが、とある終盤の展開。登場人物たちがラジオから聞く「思いを伝えて特定の時間に灯台に行けば、元の世界に戻れる」という情報そのものに根拠が薄く、その条件もあいまいです。広瀬すず演じる美咲がこのラジオに対して「妄想」などと批判をしていましたが、それを上回る説得力が劇中には必要だったのではないでしょうか。清原果耶演じるさくらが犯人へ、杉咲花演じる優花が母親に思いを届けられたかどうかもかなりあいまい、むしろやはり何もコミットできていないという事実が示されていたとさえ思えるのですが……それでも彼女たちが灯台に向かうこと、あまつさえ美咲は誰にも思いを伝えようとしないまま、灯台で「飛べー!」とみんなで叫んでしまうことにがく然としました。
しかも、その灯台のシーンの後で、美咲と横浜流星演じるスーパーの店員・高杉典真との物語が決着するのです。せめて、このエピソードは灯台のシーンの前に置いて、「思いを伝えられたかもしれない」と思わせる必要があったはずでしょう。
このように、エピソードの提示の順番に違和感を覚えるだけでなく、典真とコンサートに行った小野花梨演じる女性や、諏訪珠理演じる上司に悪態をつく水族館の同僚といったキャラクターが登場しなくなり、それぞれのエピソードが中途半端に投げ出されたような印象も持ってしまいました。もっと焦点を絞った作劇も必要だったのではないでしょうか。
8:とても残酷な物語に思えてしまった
個人的には、この『片思い世界』は、ものすごく残酷な話だと思いました。何しろ主人公3人は「引っ越しはするけど、このまま幽霊としてあの世界に居続ける」という結末なのですから。もちろん、結果ではなく彼女たちの「過程」「これまで」を肯定することこそが物語の主眼であり、それは3人の合唱シーンで見事に表れていたと思いますし、坂元裕二の脚本作品の多くに通底する尊さでもあると思います。
それを踏まえてもなお、いやだからこそ、彼女たちが幽霊という「本来は見えない存在」のままで居続けてなければならない「片思い世界」は、彼女たちにとって幸せに過ごせる場所なのだろうか、もはや「煉獄(れんごく)」そのものではないか、と思えてしまったのです。
まとめ:素晴らしいポイントもとても多かった
批判ばかりを述べてきましたが、『片思い世界』には素晴らしいポイントがたくさんあります。特に、主人公3人が「片思い世界」で「生きていた」ことが伝わる、良い意味で「幽霊っぽくなさ」がある美術、衣装、撮影は素晴らしいものでした。3人の暮らしと現実では廃墟と化した住まいとの対比も面白く、シーンそれぞれがポストカードにしたいほどに美しいこと、それをスクリーンで堪能できることに大きな価値がありますし、オリジナルの合唱曲『声は風』も耳に残ります。
総じて、「理屈」で本作を捉えると、細かいところが気になったり、欺瞞(ぎまん)を感じてしまい、否定的になる。「感覚」で本作を見た人は、数々の美点を素直に受け取ることができて、肯定的になる。それこそが、賛否が極端に分かれる理由なのかもしれません。
個人的には、SFまたはファンタジーへの挑戦そのものをとても応援したいです。恋愛要素が定番化しつつある日本の映画やドラマにおいて「風穴を開ける」試みでもあると思いますし、『ファーストキス 1ST KISS』はまさにそれが成功して、興行的にも批評的にも素晴らしい結果を残したのですから。
また、『片思い世界』は土井監督も乗っていた車が事故に遭い、大幅な公開延期が余儀なくされた作品でもありました。その結果として『ファーストキス』と公開時期が近くなり、より比べられることになったのは、作り手としても不本意だったのかもしれません。
しかし、同じくSFファンタジーである『片思い世界』があったからこそ、『ファーストキス』も生まれたのだろうと思える流れもあり、引き続き坂元裕二作品は追いかけていきたいという思いが新たにできたのも事実です。次回作に、期待をしています。
この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。