思いを共有できない孤独感が教員を苦しめる
昨今こうした教員の働き方が問題視され、部活の外部委託や待遇改善が話題になっていますが、ここまで追い詰められても内部から環境を変えられない現状が、特に公教育の現場にはあるのでしょう。坂田氏も「教員を辞めたことを後悔はしていないが、当時もし周囲とつながれていたら、辞めなかったかもしれない」と言います。
トークショーには、数日前に告知の動画を見て、「仲間がほしい」と居ても立ってもおられず深夜バスで青森から駆けつけた若手現役教員から、現場で頑張る部下のために変えられない現状をなんとかするために情報収集をしたいという現役の副校長先生、43年間働き詰めで自分の勉強をする時間もなかったが、これからは後進のために働きたいのでコーチングを学んでいるという元校長先生まで、さまざまな背景の現職教員や元教員たちが全国から参加し、2人の話を聞きながら、それぞれの思いを語り合っていました。
世代も地域も立場も違いますが、共通していたのは、現状を変えたいという思いとそれを職場の仲間と共有できない寂しさ、今の教育に疑問を持ち学べば学ぶほど周囲から浮いてしまう孤立感、自分自身の勉強をしたくても余裕がなくてできない現状から脱して、もっと視野を広げたいという向上心。ここに集まっている先生たちは皆、先生という職業を愛し情熱を持っている方々でした。
教育への熱い思いを持つほど「ふきこぼれ教員」に
そんな教員を表す言葉として、最近「ふきこぼれ教員」という言葉が使われ始めたそうです。これは、大阪公立大学の伊井義人教授と時事通信社の坂本建一郎氏の日本教師教育学会での発表が初出です。「ふきこぼれ教員」とは「教育を変革したいがために学校を離れた教員」という意味を包含した言葉で、研究発表では、物理現象でいえば、沸騰した⽔がまさに「ふきこぼれる」様⼦に似ていて、⼼理的状況に置き換えると、教育への強い情熱を持ち合わせているからこそ、学校への疑問を抱き、かつ、学校外へと視野が向く様⼦がイメージできる。と書かれています。
B氏もホームページで公開している教材が好評で、これを事業化したいと考えているそうです。情熱を持って仕事に向き合ってきたからこそ、もっと広い世界で自分の力を試してみたい、別の角度から教育に貢献したいと考えたのです。しかし、公立の教員は副業がしにくいという縛りもあります。だから、現場を離れる決心をしたのです。
ドラゴン先生も「自分は子どもが好きで教員になりました。しかし、13年間教員として学校教育に携わる中で、個性豊かな子どもたちに対して、ティーチングを基本とした画一的な教育方針に疑問を感じるようになった。また、教員にかかる負荷や働き方についても、残業が月200時間を超える状況を経験し課題に感じていました。そこで、現在は「学校教育にコーチングとやさしさを」をコンセプトに、子どもたちがイキイキと学べる教育を実現できる世の中を学校の外から作りたいという思いで活動をしている」と話します。
筆者の周りでも、公立教員から教育産業に転職し、全国を回って職員研修をしている人、理想の教育を目指してオルタナティブスクールを立ち上げた人、退職後やはり現場が好きだからと時間講師として現場に復帰しながら、執筆活動や教員や保護者のコミュニティーを立ち上げて活動している人、教師のメンタルコーチとして活動をしながら教育について多様な人が集まる共創対話の場づくりをしている人などさまざまな人がいます。それらの人たちも「ふきこぼれ教員」と言えるでしょう。
筆者は、個人的には、そうした方々の活動を応援しつつも、こんな熱い思いと力のある先生がどんどん現場を離れてしまったら、残された先生にもっとしわ寄せがいくし、子どもたちはどうなるのだろうというジレンマも感じます。
ふきこぼれ教員は、教育改革を外側から起こす先駆者かもしれないけれど、内側から変えようという力が働かなければ、日本の教育はよくはならないのではとも思います。でも、それは先生の犠牲の上で成り立つものではありません。



