ヒナタカの雑食系映画論 第106回

『先生の白い嘘』のインティマシー・コーディネーター不在を改めて考える。「入れれば万事OK」ではない

公開中の『先生の白い嘘』は、「主演俳優から要望を受けたインティマシー・コーディネーターを起用しなかった」事実が判明したインタビュー記事が物議を醸しました。この問題から考えるべき「これから」について記します。(※サムネイル画像素材:(C)2024「先生の白い嘘」製作委員会 (C)鳥飼茜/講談社)

インティマシー・コーディネーターを「入れればOK」でもない

筆者個人は、インティマシー・コーディネーターの存在は撮影現場での円滑なコミュニケーションにもつながり、共により良い作品にしていくために歩み、スタッフやキャストが安心して挑めるよう、観客も安心して作品を見られるよう、尽力をしてくれる職業なのだと知りました。

その上で、「インティマシー・コーディネーターを入れれば万事OK」でもない、ということにも留意が必要だと思います。

例えば、2022年11月に公開された『FRaU』(講談社)の『エルピス-希望、あるいは災い-』のインタビュー記事では、浅田智穂さんが「本当に俳優や現場のことを考えた依頼だけではなく、インティマシー・コーディネーターをクレジットしておけば、作品を守るためのいわば“アリバイ作り”になるだろうと、その役割をきちんと理解しないままオファーしてくる方がいたのも事実」などと語っています。

また、『先生の白い嘘』の問題発覚後の2024年7月8日にENCOUNTで掲載されたインタビューで、西山ももこさんは「私自身はスーパーヒーローではないので、全てを解決できるわけではありません。インティマシー・コーディネーターの役割は、あくまでも安全に円滑にできるように現場をコーディネートすること。私自身はメンタルヘルスの専門家ではないので、精神的な部分でできることは限られています。そこは安全のために切り分け、専門家が必要だと感じています」と答えています。

インティマシー・コーディネーターをアリバイ作りのためだけに入れても意味はない。役割はあくまで「コーディネーター」であり万能の存在ではない。関係者が共に歩み考えていくことが必要である。それらは当たり前のことに思えますが、これまでは当たり前ではなかったのだと、改めて認識することも重要でしょう。

その『先生の白い嘘』の公開初日舞台あいさつでは、原作者の鳥飼茜さんの手紙が読まれました。7月5日掲載のcinemacafe.netの記事から、全文を引用します。

漫画が映像化することは、基本的には光栄なことだ。それでも自分は自分の描いた作品に無責任すぎたのかもしれないと思う。作品は作品で描いた人、撮った人、演じた人の個人とは無関係に評価されるべきか。そういう性質なものもあっていいと思う。ただ、自分はこの漫画を描くとき、確かに憤っていたのだ。一人の人間として、一人の友人として、隣人として、何かできることはないかと強い感情を持って描いたのだ。それがある意味特別で、貴重な動機づけだった。今あんな情動を持てない。

性被害に対し、何を言えるのか。私たちはどんな立場なのか。どんな状況でもそれを明らかにできる場合にしか明け渡してはいけない作品だったと思う。こんな原作がなんぼのもんじゃと言われるかもしれないが、なんぼのもんじゃと私だけは言ってはいけなかったと思う。自分だけは、自分のかつての若い”生もの”の憤りを守り倒さねばならなかった。

撮影に際して、参加する役者さんからスタッフにいたるまで、この物語が表現しようとしているすべてに、個人的な恐怖心や圧力を感じることはないかどうか、性的シーン、暴力シーンが続く中で、彼ら全員が抑圧される箇所がないかどうか。漫画で線と文字で表現する以上の壮絶さがともなうはずだったことに、私は原作者としてノータッチの姿勢を貫いてしまった。原作者として丸投げしてしまったこの責任を強く感じるにいたり、反省した。

後だしで大変恐縮ではあったが、センシティブなシーンの撮影についても、事細かに説明を求め、おろしてもらった。説明を聞き、一応のところ安心はしたものの、やはりあらゆる意味で遅すぎたし甘かったと思う。わかりようがないとはいえ、もっともっと強く懸念して、念入りに共通確認をとりながら繊細に進めなくてはいけない。そういう原作だった。

これは昨年、私が記した所信です。文章は公開はしませんでしたが、去年の時点での私の考えでした。今公開を迎えるにあたり、このたびの発言がよくない意味で注目されていることを私は何とも心苦しく思っている。なぜなら、何かこの作品で誰かに嫌な気持ちを起こすようなことがあれば、私にもその責任があると、すでにこのように去年の私は記していたからです。こういう場合、みな一様に”言葉には気をつけなければならなかった””本当に配慮が足りなかった””配慮に欠けていた”と反省されます。

ただ、私が感じる問題はそうではない。問題は最初から信念を強く持ち合わせていなかったことではないでしょうか。私も出版社も含め、製作した者たちがあらゆる忖度に負けない信念を、首尾一貫して強く持たなかったことを反省すべきだったのではないか。このことを私が今、私自身に痛感しています。

冒頭で言ったように、最大限の配慮や共通理解を徹底して作るべき作品であること。それを映画製作側へ、都度働きかけることを私が途中で諦めてしまったことを猛省したのは、主演の奈緒さんの態度に心を打たれたからです。個人的な感想ですが、この映画製作において、一番強かったのは奈緒さんです。彼女はこの騒動で誰よりも先駆けて私に謝罪をされました。現場で一番厳しい場面と素晴らしい場面に誠実に対峙した、奈緒さんが、です。心遣いに感心したと同時に謝罪なんて必要ないよと心から申し訳なく思いました。

何より、映画の中の主人公としての演技が素晴らしかったのです。現実でも虚構でも、彼女は誠実そのものでした。感謝していますし、彼女が望むなら、たくさんの人にその素晴らしさを見てもらいわかっていただければ私自身反省をしたもので、これ以上のことはありません。


まさにこの言葉通り、「俳優が求めたインティマシー・コーディネーターを起用しなかった」ことや謝罪の言葉だけを糾弾するでのはなく、その判断に至ってしまった理由を踏まえ、これからは「信念を貫き通した作品づくり」を、関係者一同が徹底することが重要なのではないでしょうか。

筆者もまた、『先生の白い嘘』のクレジットにインティマシー・コーディネーターがいないことに対して、疑問を持ち、考えなかったことを反省しました。その上で、やはりインティマシー・コーディネーターという職業の存在や役割を多くの人が認識することが重要なのだと思います。今回の問題を受け、ドラマや映画の制作現場が、より良くなることを願っています。
 
先生の白い嘘(1) (モーニングコミックス)
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この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「CINEMAS+」「女子SPA!」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。
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