最高裁判所判例でも外観要件と銭湯問題は結び付けず
最高裁判所が2023年10月25日に裁判をし、「本件を広島高等裁判所に差し戻す」と判決が出た「性別の取扱いの変更申立て却下審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件」について。高井さんも書いた通り、その差し戻しの結果が今回の裁判で出たということです。最高裁判所の判例には外観要件(5号規定)について以下のように記載があります。つまり、公衆浴場などでは法律に基づき、男女別の浴室の区分が行われているとのこと。従って、5号規定の目的についてみると、5号規定は、他の性別に係る外性器に近似するものがあるなどの外観がなければ、例えば公衆浴場で問題を生ずるなど、社会生活上混乱を生ずる可能性があることなどが考慮されたものと解される。外性器に係る部分の外観は、通常、他人がこれを認識する機会が少なく、公衆浴場等の限られた場面の問題であるが、公衆浴場等については、一般に、法律に基づく事業者の措置により、男女別に浴室の区分が行われている。
と、5号があるからといって法律が変わるわけではないと書かれています。続けて5号規定は、この規範を前提として性別変更審判の要件を規定するものであり、5号規定がその規範を定めているわけではない。
と、性別違和の人が原因で社会に混乱が起こることは“極めてまれ”とのこと。岡山大学の2022年に発表した日本における性別違和の人口割合は0.31%(狭義)~0.96%(広義)と、約10パーセントいる左利きの10分の1以下となっています。さらに性同一性障害を有する者は社会全体からみれば少数である上、性別変更審判を求める者の中には、自己の生物学的な性別による身体的な特徴に対する不快感等を解消するために治療として外性器除去術等を受け、他の性別に係る外性器に係る部分に近似する外観を備えている者も相当数存在する。また、上記のような身体的な外観に基づく規範の性質等に照らし、5号規定がなかったとしても、この規範が当然に変更されるものではなく、これに代わる規範が直ちに形成されるとも考え難い。さらに、性同一性障害者は、治療を踏まえた医師の具体的な診断に基づき、身体的及び社会的に他の性別に適合しようとする意思を有すると認められる者であり(特例法2条)、そのような者が、他の性別の人間として受け入れられたいと望みながら、あえて他の利用者を困惑させ混乱を生じさせると想定すること自体、現実的ではない。これらのことからすると、5号規定がなかったとしても、性同一性障害者の公衆浴場等の利用に関して社会生活上の混乱が生ずることは、極めてまれなことであると考えられる。
と、利用者が不安を感じる可能性にも言及し、その場合は事業者が措置を講じることもできると明言。さらに、よくあるデマに対して以下のように説明しています。その一方で、5号規定がない場合には、性別変更審判により、身体的な外観に基づく規範と法的性別との間にずれが生じ得ることについて、利用者が不安を感じる可能性があることは否定できない。しかし、その場合でも、上記規範の性質等に照らし、性別変更審判を受けた者を含め、上記規範が社会的になお維持されると考えられることからすると、これを前提とする事業者の措置がより明確になるよう、必要に応じ、例えば、浴室の区分や利用に関し、厚生労働大臣の技術的な助言を踏まえた条例の基準や事業者の措置を適切に定めるなど、相当な方策を採ることができる。
そのほか、トイレに関しても5号規定がなければ、男性の外性器の外観を備えた者が、心の性別が女性であると主張して、女性用の公衆浴場等に入ってくるという指摘がある。しかし、5号規定は、治療を踏まえた医師の具体的な診断に基づいて認定される性同一性障害者を対象として、性別変更審判の要件を定める規定であり、5号規定がなかったとしても、単に上記のように自称すれば女性用の公衆浴場等を利用することが許されるわけではない。その規範に全く変わりがない中で、不正な行為があるとすれば、これまでと同様に、全ての利用者にとって重要な問題として適切に対処すべきであるが、そのことが性同一性障害者の権利の制約と合理的関連性を有しないことは明らかである。
トイレ等においては、通常、他人の外性器に係る部分の外観を認識する機会が少なく、その外観に基づく区分がされているものではないから、5号規定がトイレ等における混乱の回避を目的とするものとは解されない。利用者が安心して安全にトイレ等を利用できることは、全ての利用者にとって重要な問題であるが、各施設の性格(学校内、企業内、会員用、公衆用等)や利用の状況等は様々であり、個別の実情に応じ適切な対応が必要である。また、性同一性障害を有する者にとって生活上欠くことのできないトイレの利用は、性別変更審判の有無に関わらず、切実かつ困難な問題であり、多様な人々が共生する社会生活の在り方として、個別の実情に応じ適切な対応が求められる。このように、トイレ等の利用の関係で、5号規定による制約を必要とする合理的な理由がないことは明らかである。
と説明しました。
偏見に基づいた解釈をしたり、性別違和の人を差別する解釈をしたりする人が多い日本ですが、事実に戻づいてきちんと情報を読み取り、自ら学ぼうとする意思があれば、そういったことが起こる可能性は低くなるでしょう。自分が発した声が誰かの心を傷つけていないか、今一度考える機会を持ちたいですね。