本作は第96回アカデミー賞で国際長編映画賞に輝き、さらには『オッペンハイマー』を破って音響賞も受賞した話題作。しかし、まったくもって普通の映画ではありません。何しろ、アウシュビッツ強制収容所の隣で幸せに暮らす家族を描いているのですから。
前置き:最低限の予備知識は?
その触れ込みの時点で非常にセンシティブかつ挑戦的で、見る人をある程度は選んでしまう題材でもあるでしょう。劇中に説明らしい説明はほとんどないですし、エンターテインメントではなく、実験的なアート系寄りの映画であることも事実です。しかし、見る前のハードルそのものは決して高くはなく、最低限の予備知識は「アウシュビッツがどういうところか」だけでも十分だと思います。ユダヤ人が大量虐殺された歴史的事実および場所のことを、一般常識程度で分かっているのであれば、本作が描こうとしていることの本質は伝わるでしょう。
そして、「映画館で見るべき」と断言しておきます。劇場でこその「音」を「体感」することが重要ですし、後述する特徴を持つ内容を「逃げられない」環境でこそ見ることに意義を感じるからです。
そのうえで、ここでは特異な映画の内容をより理解するための、6つの「心構え」を紹介していきましょう。
1:虐殺の隣での「ホームドラマ」を描く
本作のメインで展開しているのは「家族の日常」です。子どもたちは川で遊び、夫は家で何やらお偉いさんと会議をしていて、妻は年老いた母親と庭の造園について話し合ったり、使用人は家事をしていたりと、とても平和でほのぼのとしている……ように見えます。 しかし……何やら「重い」音がずっと鳴り響いており、時おり「銃声」や「うめき声」や「悲鳴」が聞こえてきます。さらに、子どもたちがプールで遊んでいるその後ろでは、はっきりと「煙」がもくもくと上がっているのです。その理由は言わずもがな。平和な家族の日常のその隣で、毎日のようにユダヤ人が銃や炎により虐殺されているからです。夫がお偉いさんと話しているのは「焼却炉」の話だったりしますし、さらに川では「人骨」と思しきものが見つかり、子どもたちはすぐに川からあがるように言われ、その後に徹底的に「洗浄」されたりと、そのおぞましい事実を示す出来事がいくつかあります。 本作には直接的な残酷描写はほぼ皆無であり、日本でのレーティングはG(全年齢)指定です。それでもとてつもなくグロテスクに感じられる、なんなら気分が悪くなるほどの映画体験ができるのは、そうした「大量虐殺の事実」と「どこにでもありそうなホームドラマ」を同時に見せられ、そこにすさまじいギャップがあるからでしょう。
そのホームドラマの中でも特に印象に残るのは、妻が夫から急な転勤を聞かされて、「ここは夢に見た暮らしなの」「あなただけが転勤して。私は子どもとここに残る」などと告げること。隣で起こっていることを認識しているはずなのに、そう言って(思えて)しまえることに、戦慄したのです。 さらにショックを受けたのは、「作物と花」。「楽園のよう」とも言われるその庭で「雑草を取り払う」のは民族浄化や選民思想のメタファーに思えましたし、その作物や花の「養分」が何かと考えると……さらに背筋が凍ることでしょう。