※以下、マスコミ資料の文言、および上智大学校長・現代アメリカ政治外交の前嶋和弘氏による『オッペンハイマー』の時代背景と用語解説の一部を引用、または参考にしています。
3:最低限知っておくべき用語は「共産主義」と「赤狩り」
『オッペンハイマー』の物語で最低限理解しておく必要があるのは、「共産主義」と「赤狩り」という用語です。このことで主人公・オッペンハイマーは一方的に尋問され、ひどく苦しむことになるのですから。共産主義とは、私有財産を否定し、全ての財産を共有する貧富の差のない社会を実現しようとする思想や運動のこと。そして、赤狩りとは1940年代後半から1950年代前半にかけての冷戦激化を背景とした、アメリカ国内での共産主義者の過剰な摘発、はたまた職業からの追放の運動のことです。 劇中でオッペンハイマーは、1954年(広島への原爆投下から9年後の50歳の時)に「アメリカの核開発の機密情報をソ連(現ロシア)に流していたのではないか」とスパイの疑惑をかけられ、聴聞会(一般公開しない、重要な案件や法案を審議する際に意見を聴聞するため開催されるもの)が開かれます。
なぜなら、オッペンハイマーの弟で素粒子物理学者のフランク、生物学者で植物学者の妻のキティ、さらには精神科医の元恋人のジーンも共産党員だったから。当時は共産党員=ソ連のスパイやその同調者という見られ方をしていたため、本人が共産党員ではないと否定しても、ソ連との関与を疑われてしまうというわけです。 劇中の「オッペンハイマーがスパイ活動への関与を聴聞会で強く否定する」一連の流れは、「原爆を誕生させたこと」とはまた別の事柄ではあるので、人によっては物語の求心力をある程度はそいでしまうかもしれません。
しかし、それは間違いなく作品には必要なものでした。彼が聴聞会の中で告げたとあるセリフは、この物語でもっとも重要なことといっても過言ではなかったのですから。
そして……史実でありますし、それを前提として時系列がシャッフルしつつ描かれているともいえるため、ネタバレではないと信じて書きます。スパイ容疑をかけられたオッペンハイマーは、結果的に「機密保持許可」が剥奪されます。
機密保持許可とは、(国家)機密への適格性を確認し情報へのアクセスを認める制度。つまり、それを剥奪されたオッペンハイマーは核関連の最先端の研究という公職から追放され、しかも危険人物と認定されて、FBIによる尾行や盗聴など、厳しい監視下に置かれてしまうのです。
4:間に挟まれるモノクロのパートが意味するものは?
本作は時系列がシャッフルされている上に、「モノクロ」のパートが間に挟まれる構成になっています。カラーのパートは物語の大部分を占めるオッペンハイマーの視点、モノクロのパートはそれ以外、特に海軍少将かつ原子力委員会の委員長でもあるルイス・ストローズという人物の視点だと思うといいでしょう。さらに、以下の2つの時間軸のシーンが交錯するのです。
1954年:オッペンハイマーの聴聞会→カラーのパート(※ほかの時系列でもカラー)
1959年:ストローズの公聴会(一般公開される聴聞会)→モノクロのパート そのストローズは頑固な野心家で、水素爆弾の開発に反対の意を示し続けるオッペンハイマーと激しく対立します。しかも、ストローズは「商務長官」に任命されたものの、公聴会ではそのオッペンハイマーを追い込んだことが追及されてしまいます。
そのストローズが公聴会でどのように「人柄」を評価され、どのような末路をたどるのかも、大きな見どころとなっています。『アイアンマン』のヒーローとは似ても似つかない、ロバート・ダウニー・Jrから滲み出る「イヤなやつ」な(それだけでない多層的な)キャラクターも強く印象に残るでしょう。
なお、間にモノクロ映像を挟むのは、同じくクリストファー・ノーラン監督の『メメント』(2000年)にも見られたもの。実際にノーラン監督は「『オッペンハイマー』の物語は非常に主観的であり、けれど同時に客観的な物語も絡み合っている」ことを理由に、その『メメント』でとても気に入っていた「カラーとモノクロを切り替えることで構造を支え、美学的にも仕掛ける方法」をもう一度取り入れたのだとか。
今回の『オッペンハイマー』では、カラーはオッペンハイマーの「主観」、モノクロは(観客もしくはオッペンハイマーにとっての)客観的な視点、といえるかもしれません。筆者の主観ですが、モノクロはストローズという人物の「灰色の記憶」を示しているようにも思えました。