※以下、実写映画版『アラジン』の結末を含むネタバレを記しています。観賞後にお読みください。
3:悪役ジャファーがより権力を求める存在に
今回の実写映画版『アラジン』における悪役・ジャファーを演じたマーワン・ケンザリは劇場公開時に30代半ばとかなり若く、アニメ版の初老に近い見た目のジャファーとはギャップがあります。 アニメ版では、まだ少女といってもいいほどに若いジャスミンとの結婚を求め、実際に国王から 「じゃがお前は年じゃろう?」 と言われる場面もあったりと、いい意味での「年甲斐もない」気持ち悪さが際立っていました。今回の実写映画版ではその気持ち悪さがよくも悪くも後退したわけですが、代わりにジャファーが「リンゴを盗めばコソ泥、国を盗めば支配者だ」などと「権力」についてアラジンに諭す場面があったり、アニメ版にはいなかった臣下との掛け合いもあったりして、「周りを顧みず強大な権力を求める」浅ましさがより際立ち、ジャスミンとの結婚はあくまで権力を手にするための「手段」にすぎないと思えるようになっています。
この改変により、アラジンとジャファーには合わせ鏡のような「対比」が生まれています。アラジンもまた、ジャスミンとの結婚のために王子という地位を求め、その後にもランプの魔法の力を求めるがあまり「ジーニーを自由にしてあげられない」と宣言していたこともあったのですから。これは、「アラジンもまたジャファーのようになっていたのかもしれない」と思えるような改変でもあるのです。
4:アニメ版で削除されていた設定を拾い上げた
アニメ版のオープニングは、行商の男が珍しい商品を「観客に向かって」売ろうとするという、半ばメタフィクション的なものでした。実は、この行商の男はもともとは「ジーニーの人間になった姿」だという設定があります。指が4本であることや、 原語版でジーニーの声を担当した故ロビン・ウィリアムズが同役を演じているのは、その名残だったりするのです。
そして、今回の実写映画版でのオープニングは、ウィル・スミス演じる「人間になった」ジーニーが、自身の子どもたちにお話を聞かせてあげるというもの。つまり、アニメ版で削除された「初めに映画の物語を語っているのがジーニーだった」という設定を拾い上げているのです。
このオープニングで子どもたちが「すごく大きな船」「うらやましいよね」などとつぶやき、ジーニーが「ほかにはないものがある」と諭す様も、これから語る物語の「ありのままの自分」を肯定するメッセージにつながっています。
そして、ジーニーの結婚相手が、 ダリアだったということが分かる驚きと感動も大きいものでした。それもまた、ランプの中でこれまでずっと孤独だったジーニーのために、生涯を添い遂げるパートナーを創造するという、「IF」をかなえてくれるようでもあったのです。
5:実写でより強調された「魔法のない世界」への帰還
振り返ってみれば、この『アラジン』の物語は「魔法を使ったら全てが解決しました」なんてことはありません。魔法はあくまで「きっかけ」であり、最終的な解決も魔法に頼らないどころか、「魔法のない世界に帰る」ことになっているのです。いわば、本作の主題は「遠回りをしてやっと気づいた、ありのままの自分の肯定」といってもいいでしょう。アニメ版でもその主題そのものは同じですが、そもそもアニメは全てが絵として描かれていた、いってしまえば「現実ではない」ものです。さらに極端にいえば、アニメは「虚構」でありながらも、それこそ「魔法」のように魅力的にする表現といってもいいでしょう。
対して、今回は「現実」をそのまま映しているといえる実写であり、クライマックスの戦いの後は、これまでのCGやVFXを駆使したファンタジックな画や展開(=魔法)はなくなります。だからこそ「魔法のない世界」が強調されているように思えますし、そこにこそ実写映画化の意義があったと思えるのです。
さらに、今回の実写映画版のラストは、まるでインド映画のようなゴージャスなダンスと歌! それもまた、CGやVFXという映像技術により作り出されたファンタジー、はたまた魔法に頼らなくても、人間は自分たちの力でこれほどまでに世界を魅力的にしてしまえる存在なんだという、実写ならではの圧倒的な肯定のパワーに満ちたラストだと思えるのです。
この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「CINEMAS+」「女子SPA!」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。