「何気なく映る」ものにも「意味」が込められている
ここまで書くと、ただただ支離滅裂な内容かと思われるかもしれませんが、実際はそんなことはありません。むしろ、緻密な計算の元、徹底した作り込みがされていることが、アリ・アスター監督作の特徴であり魅力といえるでしょう。 まず、今回の『ボーはおそれている』は「偶発的に映り込むものがほぼ皆無」といえます。その理由の筆頭は、冒頭のアパートとその付近のシーンの多くが「ゼロから作られている」から。例えば、看板、店舗の外観、玄関ホールの下品な落書き、架空の映画を宣伝するポスター、食品のパッケージも含めて、アスター監督は製作の準備段階で何時間もかけてデザインしたのだそうです。つまりは、「何気なく映る」もの、店の名前や商品名1つをとっても「意味が込められている」のです。一度見ただけでは全てを把握できないほど膨大な情報量が詰め込まれているともいえますし、何気なく見ていたものが、後の伏線になっていたり、何かしらのメタファーにもなっていたりもするので、できる限り集中して見たほうがいいでしょう。それもまた、「ほかの邪魔が入らない」映画館で見届けてほしい理由です。
「理想的な家」でも不安の種がまかれていく
アパートに続く舞台は、「親切な外科医とその妻の家」。この場所は「人が長く住んでいて円滑に機能する郊外の理想的な家」を想定しており、撮影の準備も整ったギリギリのタイミングで見つけたのだそうです。 ここは、ボーが1人で住んでいたアパートと対照的な「絵に描いたような富裕層の住む家」であり、外科医夫婦もとてもいい人に思えますし、ひどい目に遭い続けたボーに束の間の平穏が訪れたように見えますが……そこにもやはり不安の種がまかれています。何しろ、ボーは夫婦から「戦死した息子の代わり」のように扱われているフシがありますし、「ティーンエージャーの娘の精神が不安定」だったりもするのです。
どの場面でも見通しのいい家の作りになっているからこそ、「向こう側にいる何か」もまた不穏に映りますし、ゾッとするとともに、やはり不条理な笑いにもつながっていくのです。