3:「歩き方」が変わっていく
映画の冒頭で、主人公の安西こころは暗闇の中、水音を立てながら歩いています。それは彼女の心象風景となっていて、現実のこころは不登校になり「心の教室」へと向かう最中に、3人の女子中学生が楽しそうに歩いているのを目にしていました。文字通りに「重い足取り」になっていたのです。さらに、こころが靴箱近くで再会した友達の東条さんから何も言われず、いじめの張本人である真田の手紙を読んだ後……彼女は「上靴を履き潰し」ながら、憔悴(しょうすい)しきった表情のまま歩いていました。
そして、ラストでこころは、リオンと「歩幅をそろえて」と歩き出すのです。それまで重かったこころの足取りは格段に明るくなり、一緒に歩く仲間もいて、まるで光輝く未来へと歩んでいくように、前向きな……それらが言葉による説明ではなく、「映画」としての描き方で示されています。
原恵一監督は『オトナ帝国の逆襲』でも、「歩く」描写でキャラクターの心情を表現していました。劇中屈指の感涙シーンである「ひろしの回想」もその1つ。ひろしが歩んできた人生が、どのように変化していくのかを、ぜひ『かがみの孤城』と見比べてみてほしいです。
さらに、クライマックスでこころが階段を駆け上がっていくシーンは(原監督は意識はしていなかったと語ってはいるものの)、『オトナ帝国の逆襲』のクライマックスを連想させるものでした。「歩く」「駆けていく」様は映画で最もエモーショナルなものともいえますし、原監督はそれを最大限に引き出せる作家なのです。
4:机の下で「握る手」の変化
さらに、細やかさにうならされるのは「手」の描写。映画の序盤、フリースクールに来たこころは、机の下でギュッと手を握っていました。不安で仕方がなかったのでしょう。そして、映画の終盤での同じ場面にて、(薬指に指輪もあって結婚をしたことも分かる)喜多嶋先生=アキは、こころのギュッと握った手に対して(もちろんその手は見えていないはずなのですが)、その手をつかむかのように、少し前に出すのです。
これは、かがみの孤城の中で、アキのために、こころが(みんなで童話の「大きなカブ」のように)「手を伸ばして」救い出したことと呼応しています。
こうした「ほんの少しの動作」だけで大きな感動を生むのも、原恵一監督らしさ。そこには、脚本家・丸尾みほの力も確実にあったのでしょう。文庫で上下巻にもおよぶ原作を、2時間以内の映画にまとめ上げるための取捨選択も、これ以上ないほどに的確だったと思います。
ほかにも、原監督の映画『カラフル』では、「友達が主人公のために、肉まんを半分こしようとするけど、大きめのを渡してあげるために、指をちょっとだけ動かしてから割る」という細かすぎる(でも伝わる)描写で、大きな感動を与えてくれたりもするのです。