手もみ作業で生み出されるプリプリ麺と煮干の香りが漂うスープ! 「春木屋」三羽ガラスがラー博に復活

新横浜ラーメン博物館「あの銘店をもう一度“銘店シリーズ”」第27弾は、「春木屋 郡山分店」が出店。先代の味と思いを受け継ぐ「三羽ガラス」がラー博で復活します。

春木屋の新時代を築いた「三羽ガラス」

春木屋三羽ガラス……左:手塚雅典さん 中央:手塚英幸さん 右:高橋充さん
春木屋三羽ガラス……左:手塚雅典さん、中央:手塚英幸さん、右:高橋充さん

先代が引退する1988年、春木屋に新たな時代が訪れました。その始まりは1986年の暮れのこと。70歳を目前とした先代が思うように体が動かなくなっていたころ、郡山から翌年卒業を迎えようとする高校生が父親とともに春木屋を訪れたのです。

その高校生こそが、現在、春木屋郡山分店社長の手塚英幸さん。腕一本で家族を不自由させない職人の姿に感銘を受けた手塚さんは、進学せず職人の世界に入ることを決心していました。18歳の冬、何気なく買った本に掲載されていた先代の言葉は、まさに手塚さんが志していた職人の在り方だったのです。

当時の春木屋には弟子を取る制度はありませんでしたが、手塚さんの情熱に押され、春木屋の歴史の中で初めて外部からの人間が入ることになりました。

その数カ月後、もう1人のラーメン職人を志す若き青年、高橋充さんが春木屋に弟子入りします。高橋さんも手塚さん同様に、小さいころから職人の世界で活躍する夢を抱いていました。

中でもラーメンには特別な思いがあった高橋さん。高校生になるとラーメンの食べ歩きを始め、最初に訪れた店が春木屋だったのです。その後も食べ歩きを続けますが、高橋さんの脳裏には、カウンター越しに見た先代の姿が焼きついていたそうです。

さらにその1年後には、1番弟子となった手塚さんの影響を受けた弟の雅典さんも弟子入りすることに。

同じ志を持つ若き3人は「三羽ガラス」と呼ばれ、春木屋の新たな時代を築き上げていきました。

手塚さんが手伝うことを条件にラー博へ出店

春木屋ラー博店外観(2004年撮影)
春木屋ラー博店外観(2004年撮影)

ラー博は1994年の開業時、春木屋を誘致しましたが、出店はかないませんでした。その後もたびたび本店を訪れていましたが、ついに「1番弟子の手塚が手伝うのであれば」という条件で、2004年1月にラー博への出店が決まります(2011年3月13日にラー博を卒業)。

手塚さんは独立後、1994年に福島県郡山市に創業した「春木屋 郡山分店」で腕を振るっていました。手塚さんとともに弟の雅典さん、高橋充さんがラー博での営業を任されました。

こうした縁から、今回の「あの銘店をもう一度」第27弾では、三羽ガラスが今も働く「春木屋 郡山分店」としての出店となります。

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プリプリ食感の麺と食欲をそそるスープの秘密
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