アスリートの育て方 第7回

「たぶん両親は試合を観に来たことがない」ほったらかしで育った坪井慶介が、プロサッカー選手になれたわけ【独占インタビュー】

アスリートが「どう育てられたのか」、そして「どう子どもを育てているのか」について聞く連載【アスリートの育て方】。元サッカー日本代表の坪井慶介は「愛のあるほったらかし」のなかで育ったという。どのような両親のもとで、どう育ったのか、話を聞いた。

大人になって、父親と母親に言われた言葉

 岐阜を出て、三重、福岡の学校に進学、そしてJリーガーに──。遠く離れていく息子を、坪井の両親はどんな気持ちで見つめていたのだろうか。
 
「大人になってから、母親に言われましたよ。『中学を卒業して家を出た後、しばらくあなたの部屋に入れなかった』って。やっぱり、寂しかったんだと思います。だから、ほっとかれてはいましたけど、親の愛情を感じないなんて思ったことは一度もありません」
 
進路に関しても本人任せだった両親だが、もしかしたらそれも計算された坪井家流の子育てテクニックだったのでは? と、勘繰りたくなる。
 
「だとしたら、すごいですよね(笑)。実際、あれこれ言われないので、全て自分で考えてやるしかありませんでしたから。『やりたいことをやりなさい、その代わりやるなら覚悟を持って、最後までやり遂げなさい』って、言葉には出さなくても、そんなメッセージをもらっていたような気がします」
 
普段から口数の少なかった父は、プロになった坪井にボソッとこう呟いたという。
 
「天狗にだけはなるなよ」
 
その言葉は、今も坪井の心に強く刻まれている。
最初から読む

坪井 慶介(つぼい・けいすけ)
坪井慶介さん
坪井慶介さん
1979年9月16日生まれ、東京都出身。四日市中央工から福岡大を経て、2002年に浦和レッズに入団。1年目から新人王に輝く活躍を見せると、その後も長くCBのレギュラーとしてチームを支え、J1リーグ優勝(2006年)やACL制覇(2007年)など数多くのタイトル獲得に貢献した。日本代表では2006年のドイツW杯にも出場。湘南ベルマーレ、レノファ山口を経て、2019年シーズンを最後に現役引退。現在はサッカー解説者、タレントとして活躍中だ。

この記事の執筆者:吉田 治良 プロフィール
1967年生まれ。法政大学を卒業後、ファッション誌の編集者を経て、『サッカーダイジェスト』編集部へ。2000年から約10年にわたって『ワールドサッカーダイジェスト』の編集長を務める。2017年に独立。現在はフリーのライター/編集者。
Lineで送る Facebookでシェア
はてなブックマークに追加

連載バックナンバー

Pick up

注目の連載

  • 「港区女子」というビジネスキャリア

    深刻な男女賃金格差から「港区活動」を“就職先”にする危険性。港区女子になれなかった女子大生の末路

  • ヒナタカの雑食系映画論

    草なぎ剛主演映画『碁盤斬り』が最高傑作になった7つの理由。『孤狼の血』白石和彌監督との好相性

  • 世界を知れば日本が見える

    もはや「素晴らしいニッポン」は建前か。インバウンド急拡大の今、外国人に聞いた「日本の嫌いなところ」

  • 海外から眺めてみたら! 不思議大国ジャパン

    外国人観光客向け「二重価格」は海外にも存在するが……在欧日本人が経験した「三重価格」の塩対応