アスリートの育て方 第7回

「たぶん両親は試合を観に来たことがない」ほったらかしで育った坪井慶介が、プロサッカー選手になれたわけ【独占インタビュー】

アスリートが「どう育てられたのか」、そして「どう子どもを育てているのか」について聞く連載【アスリートの育て方】。元サッカー日本代表の坪井慶介は「愛のあるほったらかし」のなかで育ったという。どのような両親のもとで、どう育ったのか、話を聞いた。

親元を離れ、サッカーの名門・四日市中央工業に進学

幼少期から、自分で考え、行動する子どもだったが、こうした環境の変化に対応していくなかで、坪井の「考える力」はさらに磨かれていく。中学卒業後に三重県のサッカーの名門・四日市中央工業(四中工)への進学を決めたのも、坪井自身だ。
 
「中学2年の時にJリーグができて、明確にプロを目指すようになりました。そのためには強いチームでやるしかない。別に岐阜の高校が悪いわけではなかったんですが、環境を変えてサッカーをやってみたかった。それに(1992年の高校サッカー選手権で優勝した)四中工の三羽烏(小倉隆史、中西永輔、中田一三)への憧れもありましたから」
 
岐阜に引っ越してからも両親との関係は相変わらずだったが、さすがに家を出ると告げた時は、母親から「岐阜の高校でもサッカーはできるんじゃない?」と言われたそうだ。それでも坪井は自分の意思を貫き、たまたま三重県に親戚がいたこともあって、一時的に住民票を移して四中工を一般受験。名門サッカー部の門をたたく。

「お前はまだ伸びる」恩師の言葉で大学、そしてプロの世界へ

ただ、高校時代は不遇だった。厳しい競争を勝ち抜き、3年生でようやくレギュラーをつかんだが、坪井の代はインターハイに出場しても1回戦負け、冬の選手権への出場も逃してしまう。
 
「僕自身も高校選抜に選ばれるような選手ではなかったし、卒業後は就職しようと思っていたんです。JFL(日本フットボールリーグ)のチームで、働きながらサッカーを続けようかなって」
 
そんな折れかけた坪井の心をつなぎ止めたのが、四中工の樋口士郎監督だった。「お前はまだ伸びるから、大学に行ってプロを目指しなさい」。この言葉を胸に、法政大学のセレクションに落ちるという挫折も乗り越え、福岡大学へ進学。

ここで自主性を重んじる乾真寛監督の指導を受けて、坪井はその才能を一気に開花させていく。2001年の北京ユニバーシアード大会で優勝メンバーの一員となり、そして浦和レッズへ入団。ついにプロになるという夢をかなえるのだ。
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坪井の心に強く刻まれている父親の言葉とは
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