新横浜ラーメン博物館(以下、ラー博)は2024年に迎える30周年に向けて、2022年7月1日から「あの銘店をもう一度」プロジェクトをスタート。過去に出店したことのある約40店舗の銘店が2年間かけリレー形式でラー博に出店します。
2024年1月9日~2月5日の「あの銘店をもう一度"94年組"」第5弾は、札幌「すみれ1994」が出店。30年前の濃厚味噌(みそ)ラーメンが復活するだけでなく、すみれオールスターズ(=すみれ出身のお弟子さんたち)が期間中交代で厨房に立つとのこと。これは楽しみ!(画像は全て提供)
「純連」の濃厚な味噌ラーメンのはじまり
「純連(すみれ/じゅんれん)」のはじまりは、東京五輪が行われた1964年。創業者の村中明子(あけこ)さんが札幌で開業しました。屋号の「純連」は「すみれ」と読み、「若い人がたくさん集まる」という意味を持ちます。
当時、札幌を席巻していた味噌ラーメンとは違う、「若い人たちが集まるような、もっとこってりしている味噌ラーメンを作りたい」と考えた明子さんは、ほぼ独学で濃厚な味噌ラーメンを作り上げました。この濃厚な味噌ラーメンが現在の「純連」の味につながっています。
「純連」はすみれ? じゅんれん?
「純連」という屋号ですが、「すみれ/じゅんれん」という2つの読み方が存在します。
先に紹介した通り、開業当時は「すみれ」という読みだった「純連」。月日が経ち、看板の上に書いてあったフリガナが長年の雨風によって取れてしまい、本当の屋号を知らないお客さんが「じゅんれん」と呼ぶようになったのです。
1982年6月、明子さんが股関節亜脱臼を患い、閉店することとなります。が、明子さんはラーメン店を諦めることができず、翌年「純連」を再開します。この時、当時のお客さまのほとんどが「じゅんれん」と呼んでいたため、「すみれ」ではなく「じゅんれん」にしたのです。これが、2つの読みが存在する理由です。
現在は明子さんの長男である村中教愛(のりよし)さんが「純連(じゅんれん)」の店主を務めており、1989年に三男の村中伸宜(のぶよし)さんが「純連(すみれ)※」の名で店をオープンしています。※現在は「すみれ」
というわけで、「純連(じゅんれん)」「すみれ」の両方が存在し、現在まで継承されています。