日本の映画公式SNSや高畑充希の言葉の真摯さ
肯定されるべきは、日本の『バービー』公式Xが、問題に対してはっきりと「極めて遺憾なものと考えており、この事態を重く受け止め、アメリカ本社に然るべき対応を求めています」と表明をしたことです。それを受けて、アメリカのワーナー・ブラザースはメディア向けではあるものの「先の配慮に欠けたソーシャルメディアへの投稿を遺憾に思っております。スタジオより深くお詫び申し上げます」と公式の声明を発表し、問題となったリプライを削除。グレタ・ガーウィグ監督も来日した際の各インタビューにて「彼らの謝罪は重要なことです」と回答しています。
そして、日本語吹き替え版で声の出演をしている高畑充希は、Instagramのストーリーズ機能にて「今回のニュースを耳にした時、怒り、というよりは正直、不甲斐なさが先に押し寄せてきました」などとつづり、さらにイベントへの登壇の辞退までをも考えたことを説明した上で、「『バービー』という作品自体の素晴らしさはぜひ知っていただきたいな、という気持ちを消せませんでした」「複雑な感情はありますが、今日一日、真摯につとめさせていただきたいと思います」と続けました。これらの言葉には、多くの称賛が集まりました。
改めて、アメリカの『バービー』の公式Xが原爆を揶揄(やゆ)したミームに好意的なリプライをしたことは、国際的な大問題であると強調しておきます。謝罪をしたからといって、その事実は決してなくなりません。しかし、それでもなお、これらの問題を無視せず、真摯(しんし)に向き合った日本の『バービー』公式Xや高畑充希の言葉はとても大きな意味がありますし、問題に憤りを覚えている人に届いてほしいとも、強く願うのです。
ファンの盛り上がりが宣伝に直結するSNS時代に考えるべきこと
「『バービー』映画本編と、非公式のミームおよび公式のリプは全く関係がない(もちろん映画本編に原爆が登場したりもしない)」ことも、やはり改めて強調しておきたいのですが、映画の宣伝そのものが公共性を持つムーブメントであることもまた事実。そして、映画『バービー』のそれ以前の宣伝は大きなポジティブな話題になっていたからこそ、より今回の問題がひどく悲しいものにも思えます。例えば、「誰でもバービー(もしくはケン)になれるジェネレーター」が公式から提供されており、そちらが海外で大バズりしていて、日本語版も提供されています。もちろん、これ自体は受け手が自由に楽しめる優れた宣伝だったはずなのですが、残念ながらこちらもごく一部のユーザーからは不謹慎な画像が変換され、誰かを傷つける目的でも使われてしまっていました。
また、現在上映中のホラー映画『ヴァチカンのエクソシスト』のプロデューサーのジェフ・カッツも、一連の問題を受けて謝罪。同作品は日本でファンアートが大盛り上がりしており、ジェフ・カッツ本人がSNS上で日本語で積極的にファンと交流したことが話題になっていたからこそ、その言葉には説得力があります。公式とファンの直接的なつながりそのものが悪いわけではなく、それは双方にとってに喜びにもなる、という1つの証明ともいえるでしょう。
映画の宣伝は、受け手が映画を見るまでの期待の盛り上がりとも不可分。「宣伝があってこそ映画がある」という言い方だってできます。映画公式の送り手はもちろん、ファンの盛り上がりが映画の宣伝に直結するSNS時代の今だからこそ、受け手側が問題となる発言をしたりはしていないか、立ち止まって考える必要があるでしょう。
かつ、さらに残念なのは、今回の映画『バービー』の問題について抗議という範疇(はんちゅう)を超えた行動を取る人がいることです。例えば、映画本編に好意的な反応な感想を投稿をした人に攻撃的なリプを送る、原爆以外の悲劇的な出来事を揶揄して“反撃”をするなど、憎悪が憎悪を呼ぶ言動に、とても悲しくなりました。
また、この問題を理由にレビューサイトで映画『バービー』に最低点を投稿するのも、やめていただきたいと切に願います。それもまた抗議のつもりなのかもしれませんが、それは「映画を見た上での感想を書く場所」であることを、強く主張しておきたいです。
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