『クレヨンしんちゃん』ならではの笑いより、心が痛む場面の方が多い?
さて今作、「正直、このシーンはどう捉えたら……」と思うような場面もいくつか登場しました。まず、超能力を手にして暴れまくる、今作のヒール役・非理谷(ひりや)の描かれ方。非理谷は、新橋駅前でアルバイトの仕事としてポケットティッシュを配っているのですが、ティッシュを手渡そうとしただけなのに、若いサラリーマンたちに“底辺”とばかにされ、暴行を受けてしまいます。子どもたちはこのシーンを見て、やはり非理谷をみっともない、社会の“底辺”と思うのでしょうか。子どもたちの受け止め方が気になった場面の1つでした。
また、非理谷が世界征服をもくろむヌスットラダマス2世に連れていかれる「令和てんぷく団」を集める施設には、無数の個室にさまざまなコレクションに囲まれている、いわゆる“オタク”の人たちの姿が描かれています。どうしてこの人たちが集められたのかという理由も語られず、オタク=社会的弱者を連想させるような光景にも強い違和感がありました。
さらに、非理谷としんちゃんが大人になったいじめっ子たちに立ち向かうシーンでは、5歳のしんちゃんが容赦なく大人たちに殴られます。正直、これには絶句してしまいました。大人が3人で5歳の男の子に絡むシーンに、劇場内の子どもたちは「頑張れ」と応援するでもなく、固唾(かたず)をのんで事の顛末(てんまつ)を見守っているように感じました。
現代社会の闇がテーマ? ターゲットは誰だった? 疑問が残るストーリー
非理谷というキャラクターは、あまりにもふびんな印象でした。そもそも、人に迷惑をかけるような悪いことは何もしておらず、社会に対して鬱屈(うっくつ)としたものを抱えていたとはいえ、強盗犯と似た格好だったことで濡れ衣を着せられたことが引き金となり、たまたま超能力を得てヤケクソになり暴れてしまった……という理不尽な設定なのです。幼い頃から非理谷の両親は共働きで忙しく、いつも孤独で学校の友達にはいじめられ、挙句に両親は離婚。現代の社会問題をテーマにしているのでしょうが、どの層をターゲットにしたかったのか……夏休み真っただ中の無邪気な子どもたちでしょうか。それとも、子育て世代への問題提起?
最終的には、作品内で「誰か1人でも理解してくれる人がいれば、人は強くなれる」という素晴らしいメッセージを伝えていただけに、暗さや恐怖ではなく、もう少し子どもたちに楽しく温かく伝わるストーリーだったら……と思わずにはいられませんでした。
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