新横浜ラーメン博物館(以下、ラー博)は2024年に迎える30周年に向けて、2022年7月1日から「あの銘店をもう一度」プロジェクトをスタート。過去に出店したことのある約40店舗の銘店が2年間かけリレー形式でラー博に出店します。
2023年7月20日~10月22日の「あの銘店をもう一度"94年組"」第3弾は「名代ら~めん げんこつ屋1994」が出店。創業者・関川清さんの息子である二代目・関川匡仁(まさひと)さんにより"親父の志と味を伝える"という思いのもと、1994年当時の味を再現します(画像は全て提供)。
※匡は「匚」に「玉」
弁当店からラーメン店への転身
げんこつ屋は1980年4月、東京・新高円寺駅近くで、カウンターのみ13席の小さなお店からスタートしました。
創業者の関川清さんは、もともとは神奈川県川崎市の戸手町で弁当店を営んでいました。ピーク時は35名の従業員を抱えるほど繁盛していましたが、コンビニの台頭などで競争が激化したため、大きな可能性を感じたラーメン店への転身を図ったのでした。
げんこつ屋という屋号は、関川さんが命名。「げんこつで大事なものを握りしめる。そして、そのげんこつで握りしめたものを次世代に伝えていきたい」という意味で、妥協を許さず常に挑戦し続ける精神を表しています。
料理としてのラーメンを目指す
関川さんはラーメンを大衆食ではなく「料理」と考えて試行錯誤を重ね、1980年の開業時に和風スープと白湯(パイタン)スープの組み合わせがベストだという結論を出していたとのこと。この「白湯×和風」のWスープは1990年代後半から2000年前半に一世風靡(ふうび)しましたが、その原型はすでにげんこつ屋が作り上げていました。
鶏・豚・香味野菜を時間をかけて煮込み白濁させた白湯スープに、げんこつ屋の代名詞“マグロ節”と利尻昆布からとった和風スープをブレンドした「料理」としてのスープが特長です。
麺は上州産の高品質の小麦粉を使用し、かんすいの使用量を極力抑えた「多加水麺」。ただ単にコシがある麺ではなく、ソフトな歯ざわりを重要視し誕生した製法です。今でこそ「多加水麺」という言葉はラーメン好きの間では知られていますが、この製法を今から40年以上前からやっていたことは、とてつもなくすごいことです。
また味だけでなく、ラーメン店に企業理念やロゴ、ビジュアルなどのCI(コーポレートアイデンティティー)を導入したことも大きな功績です。当時、男性客がメインだったラーメン店に女性客や家族が気軽に入れるよう衛生面や内装・サービスに気を配るなど、1990年代後半のラーメンブーム時に広まったスタイルを昭和の時代から取り入れていたことも、関川さんがラーメン界にもたらした革命的なことといえます。
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