田植えをするアヤナミレイ。震災ではなく復興を描いたエヴァ
本編が始まって、真っ先に思ったのは「ちゃんとQの続きでよかった」ということです。続編なので当たり前なんですが「破」の最後に流れた次回予告は「Q」で一切登場しなかったので。もうカヲル君以外、何も信じられません。
「ちゃんとシンジが起きてた」のも嬉しかったです。また14年後とか言われなくてよかった……。
「破」の次回予告と「Q」が続いていないのはループしているから、すなわち別の世界線だと考察されてきましたが、シン・エヴァでは「破」と「Q」の間の「空白の14年」にも言及されていました。
もしかしたら「Q」は、そこで起きた「サードインパクト」も描く予定だったのではないでしょうか。
「Q」が公開されたのは2012年。主題歌である『桜流し』のブックレットによると、当時活動休止中だった宇多田ヒカルさんは、庵野監督の「もしも表現者であるならばこの震災から目を背けて作品を作ることは決してできない」という言葉に共感し、引き受けたそうです。
庵野監督は表現者として、当時まだ色濃く残っていた震災の記憶を想起させる「サードインパクト」を描かないという決断をしたのかもしれません。
物語の山場である「サードインパクト」が描かれなかったことは、ファンとしては残念です。加持さんやカヲル君の活躍を見ることができなかった。
しかし描かなかったからこそ、謎と絶望が生まれて「Q」が心に残る傑作になったともいえるでしょう。
「第3村」
シン・エヴァの前半では「サードインパクト」の完遂を加持さんが命がけの特攻で食い止めたおかげで生き残った人々が暮らす「第3村」の生活が描かれています。
荒廃した世界を立て直し懸命に生きている大人になったトウジやケンスケ。生活の中に生きる喜びを見つけて変わっていくアヤナミ。
それにより、シンジと観客の心にあった「Qの絶望」が少しずつ癒されていく。震災ではなく復興を描いたともいえる、庵野監督の覚悟を感じる素晴らしい展開でした。
そんな「第3村」での生活にも慣れた頃。ネルフのメンテなしには生きられないアヤナミは「Q」のラストで拾って以来ずっと預かっていたウォークマン「S-DAT」をシンジに返して、消滅してしまいます。
それはまるで、自分が好きになったこの村を守ってほしいと託すかのようでした。稲刈りをするアヤナミ、観たかったな……。
4部作のサブタイトルにみるシンジの葛藤と成長
「第3村」で心を癒し、アヤナミの消滅で覚悟を決めたシンジは、ここから怒涛の男気を見せ始めます。
責任を逃れるために世界を元に戻そうとした「Q」とは違い、世界を変えてしまった「落とし前」をつけるために、アスカについて行くことを選ぶシンジ。
14歳とは思えない……! もう「ガキシンジ」とは呼ばせないといわんばかりの成長です。
所信表明で、庵野監督は「エヴァはくり返しの物語」と表現しました。「主人公が何度も同じ目に遭いながらひたすら立ち上がっていく話」であり、「わずかでも前に進もうとする意思の話」であり、そして「曖昧な孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う覚悟の話」だと。
前3作には、この所信表明とリンクする英語のサブタイトルが付けられています。それぞれカッコ付きの否定が付いていて、和訳すると序は「君はひとりぼっち(じゃない)」、破は「君は前に進むことができる(できない)」、そしてQは「君はやり直せる(やり直せない)」。
エヴァに乗ることで他者と関わる喜びを知った「序」、綾波を助けたいという強い意思で再びエヴァに乗った「破」、そして自分のせいで破滅させた世界をやり直そうとした「Q」。
エヴァに乗れと言われたり、乗るなと言われたり。シンジは大人たちに翻弄されながらも、何度も葛藤をくり返して成長してきました。
TV版・旧劇場版の完結編は、それぞれSF小説の題名をモチーフとしたタイトルになっていました。その法則に則ってシン・エヴァに付けられたサブタイトルは THRICE UPON A TIME で意味は「3度のとき」。カッコ付きの否定は付いていません。
シン・エヴァが3度めのラストという意味もあるでしょうが、序破Qの3度、葛藤をくり返してきたシンジがついにシン・エヴァで決着をつける覚悟を決めたことも表現しているのではないでしょうか。
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