洗練された英語を丸暗記しても記憶から消える
このような「わかったつもり」は、別の場面でも経験している。
国際会議で意見を話すとき、AIに翻訳を頼むと、驚くほど洗練された英語が返ってくる。その文章を丸暗記すると曖昧だったやり取りが一気に整理され、「なるほど」と深く理解したような感覚になる。
しかし、その表現は素早く記憶から消えていく。後になってどんな言い回しをしたか再現できない。そのとき気づくのは、「理解した」のではなく、「理解したように感じただけだった」ということである。
自分の中で意味づけを行い、言葉を探しながら理解していく過程が抜け落ちていると、情報は定着しない。整えられた言葉を受け取るだけでは、それは自分の知識にはならないのである。時間はかかるがこうした手間のプロセスが自分の力になる。
生成AIは「理解したような感覚」を強く与える。これは錯覚かもしれない。だからこそ、そこにとどまらず、一度自分の言葉に引き戻す作業が不可欠になる。
思考の過程を省略したまま結果だけを手に入れるとき、人は自分の理解を過大評価してしまうのである。
AI依存の学習では「自分でできた」という実感が得にくい
さらに重要なのは、自己効力感への影響である。
自己効力感とは、自分の力で課題を乗り越えられるという感覚であり、学習の持続に深く関わる。AIに依存した学習では、「自分でできた」という実感が得られにくくなる。その結果、困難に直面したときに粘り強く考え続ける力が育ちにくくなる可能性がある。
AIは確かに便利である。しかしその便利さは、思考の摩擦を取り除く方向に働く。そして皮肉なことに、その摩擦の中にこそ、理解や成長の契機が含まれている。
問題はAIの存在そのものではない。どこまでを自分で考え、どこからをAIに委ねるのか。その境界線の引き方こそが、これからの学びにおいて決定的な意味を持つのである。
大事なのは答えに向かうプロセスであり、結果そのものではないということが言えるのではないだろうか。
著者:海原純子(心療内科医・産業医)
東京慈恵会医科大学卒業。同大講師、日本医科大学医学教育センター特任教授、ハーバード大学大学院客員研究員などを歴任。1986年に日本初の女性クリニックを開設し、復興庁「心の健康サポート事業」統括責任者も務めた。読売新聞「人生案内」回答者、毎日新聞「心のサプリ」連載中。
著者:ラスカウスキー照美(ITコンサルタント・トレーナー)
ペンシルベニア大学ウォートンスクールMBA修了。米国陸軍、Goldman Sachs、Symantecなどを経て独立。情報セキュリティの国際資格CISSP・CCSPを持ち、セキュリティ・クラウド・AI分野の企業研修や技術書の執筆を行う。



