考える前に答えがある時代
AIを教育に取り入れる際に最も大きなリスクの一つが、「思考のオフロード化」である。
認知的オフロードとは、本来自分の頭で行うべき思考や記憶、判断のプロセスを外部に委ねることである。人はこれまでもメモや電卓、検索エンジンなどを用いて認知的負荷を軽減してきた。しかし生成AIは、その水準を一段引き上げ、「考えることそのもの」を外部に預けることを可能にした。
たとえば、レポートの構成を考える、論点を整理する、文章をまとめるといった作業をAIに任せると、短時間で整った成果物が得られる。一見すると、学習は効率化されているように見える。しかしその過程では、本来経験すべき試行錯誤が省略されている。
ここに見えにくい問題がある。
ある大学生は、レポート課題のたびにAIにテーマを入力し、提示された構成と文章をもとに提出物を仕上げていた。評価は高く、本人も「効率がよい」と感じていた。しかし、授業内で同じテーマについて議論する場面になると、ほとんど発言することができなかった。自分が書いたはずの内容についても、説明ができなかったのである。
この学生は後に、「書けてはいたが、考えてはいなかった」と振り返っている。
このような状態は、心理学では「浅い処理(shallow processing)」と呼ばれる。情報には触れているが、意味づけや統合が十分に行われていない状態である。表面的には理解したように感じるが、時間が経てば定着せず、別の文脈で応用することも難しい。
この問題は、決して新しいものではない。
「理解したつもり」という錯覚
私自身、学生時代に似た経験をしている。教科書の設問に対する答えがすべて掲載された参考書があり、それを使えば一見すらすらと課題は解けていけるように感じられた。答えを先に知っているため、「自分はできている」と思えてしまうのだ。
しかし、実際の試験になるとすらすらいかない。解けていたはずの問題が解けない。そのとき初めて、「理解していた」のではなく、「答えをなぞっていただけだった」「できたつもりになっていた」ことに気づいた。
それ以来、私はその参考書を使うのをやめた。答えを先に知ることは、理解を助けるどころか、「できているつもり」という感覚を生み出してしまうことがあると実感したからである。



