そんな彼の難解な言葉を、日常に根付くポップな言葉へと変えた『生まれるのも生きていくのもめんどくさい!超訳シオランの言葉』が刊行されました。編訳者は、映画ライター・小説家として活躍する済東鉄腸(さいとう・てっちょう)氏。
「生きる意味」の喪失感や、SNSの閉塞感、終わらない労働に疲弊する現代人に、なぜ今シオランが刺さるのか? 「優しく寄り添うだけの言葉には飽きた」と語る済東氏に、現代を生き抜くための“軽やかな悲観主義”について話を聞きました。
E・M・シオラン(1911〜1995)
ルーマニア出身の哲学者・思想家。20世紀最高の「不謹慎な天才」とも称される。「人間は生まれてこないほうがよかった」といった極限の悲観論を、短く切れ味の鋭いアフォリズム(格言)で美しく歌い上げ、世界中に熱狂的なファンを持つ。
※本記事で紹介している商品の購入やサービスの利用により、売上の一部がオールアバウトに還元されることがあります。
「暗黒のひきこもり期」に体験したカタルシス
奨学金をもらっているから授業には出なきゃ殺されると思って、なんとか大学には行くんですけど、それ以外は引きこもって本を読むか映画を見るか、という時期でした。
そんな2011年の秋頃、Twitter(現X)を始めたんですけど、そこで「シオランbot」という名言を機械的にアップしていくアカウントを見つけたんです。そこに流れてくる言葉が、本当に「こんなにかっこいい作品があるのか!」と。
——どのような言葉に衝撃を受けたのですか?
済東:例えば、「人間はかつて生きたことはない以上、死ぬこともありえない」とか。絶望とか嫉妬とか、人間が抱えるドス黒い負の感情を、こんな風に表現できる人がいるのかと衝撃を受けました。精神的に病んでいる中で、悲劇的なものを見ることで心が浄化される「カタルシス」を、シオランの言葉一つひとつに感じさせられたんです。
それから図書館で本を借りて読むようになって。彼の言葉って、長くぐーっとくるんじゃなくて、短くグサッと刺してくるような小気味良さがあるんですよね。論文のように長く議論が続く他の哲学者とは違う、唯一無二の存在感に惹かれていきました。
絶望をTシャツのように着替える。シオラン流「悲観主義」の軽やかさ
——一般的にシオランは「悲観主義の哲学者」として知られていますが、私たちがイメージする“暗さ”とは少し違うのでしょうか?済東:普通の悲観主義の人って、1つの絶望の感情にぐーっと奥深くまで潜行して、どんより煮詰まっていく感じになりがちですよね。でもシオランは違って、飛び石のようにぱっぱ、ぱっぱっと、いろんな負の感情に軽やかに乗り移っていく。
彼は作中で、「人生に適用する私の秘密は、シャツのように絶望を取り替えること」というようなことを言っているんです。絶望することや、嫉妬すること、後悔することを、意外と軽やかに味わって読者に提示してくれる。あえてTシャツを着替えるように絶望を差し出してくれる軽やかさがあるんです。
——「絶望なのに軽やか」というのは面白いですね。
済東:この人の悲観主義って、普通の悲観主義がマイナスを「足す」ものだとしたら、マイナスを「かける」ものなんですよ。あまりにも全てに対して悲観的であることを極め過ぎて、1周回って真逆のプラスの方向性にひっくり返っちゃっている。
実際、シオラン自身も路上にいる娼婦の人とバンバンしゃべりまくったり、カフェに行ったらコーヒーも飲まずにずっと若者とベラベラおしゃべりしたりして、すごく人付き合いがよかったらしいんです。
自伝を書いた人も、彼のことを「オープンでユーモアがあって繊細で、完璧なまでの礼儀正しさを持った知的ダンディー」と評しているくらい。悲観を極めて真逆に変える力、それがシオランの思想家としての強みなんです。



