猫に舐められれば「ザリザリ」と痛く、膝に乗られればズッシリと重い。さらには、トイレに行きたい絶好のタイミングで「膀胱ふみふみ」の洗礼を受けることも——。
そんな、はたから見れば少し災難な瞬間ですら、「これは愛なのかもしれない」と深読みし、幸せをかみしめてしまうのが、猫飼いの悲しい性(さが)ではないでしょうか。
本記事では、1年半の単身赴任を経て「猫がいる家」へ戻った歌人・仁尾智さんの著書『猫のいる家に帰りたい』(仁尾智・著、小泉さよ・イラスト/辰巳出版)より、猫の「生温かくてやや痛い愛」を綴った短歌とエッセイを抜粋してお届けします。
ザリザリと痛いけど「愛」だから……?
愛に似て生温かくやや痛い
猫におでこを舐められている
猫が時折見せる愛情表現らしき仕草には、心が揺れる。のどを鳴らしたり、ひざに乗られたりすると「もしかしたら俺、好かれているのかも。いやいや、勘違いしてはいけない」みたいに喜びと自制の間を行き来することになる。
猫は何を考えているのか、わかりそうでわからない。わからないからこそ、僕の都合で猫の気持ちを解釈してしまうことへの警戒心が、常にある。我ながら面倒くさい。
複数の猫と暮らしていると、その仕草にもいろいろと個性があることに気づく。お腹を見せて甘える猫、体の一部をくっつけて寄り添う猫、鼻や身体を擦り付けてくる猫……。
目が合うと、うなずくようにゆっくり目を細める猫がいる。最初は単にそういう癖なのだと思っていたけれど、これも愛情表現だと知って一層愛おしくなった。また、話しかけるように、声を出さないで鳴く猫もいる。俗に「サイレント・ニャー」と言われるこの仕草も、親愛の表現だそうだ。
最も悩ましいのは、腕や顔を舐めてくれる猫だ。一点集中型で、同じ場所をひたすら舐め続ける。ザリザリザリザリザリザリ……。痛くても、これは愛なのだと思い込み、終わるまでは、我慢我慢なのである。
猫の「爪切り」をサボった飼い主を襲う、痛烈なしっぺ返し
もう狩りをすることのない猫が研ぐ
爪がときどき私に刺さる
爪を研ぐ猫は、一心不乱だ。
それはそうだろう。猫にとって爪は狩りをするための道具であり、身を守るための武器である。爪のメンテナンスが、生死に関わる問題なのだ。プロスポーツ選手が道具を入念に手入れするように、猫も爪を研ぐのだ。爪を研ぐ猫を見ると「怠ってないな」と思う。
そんな猫が日々重ねる(文字通りの意味での)研鑽(けんさん)を水泡に帰す張本人が、あろうことか僕なのだ。「爪切り」という行事である。あんなに猫が一生懸命研いだ爪を? 切るの? 僕が?
……というわけで、猫の爪を切るのが苦手で、サボりがちだ。
そばに来た猫を手や指でじゃらす。もう子猫ではない猫が申し訳程度にかまってくれる。しばらく遊んでいると、あんなに億劫(おっくう)そうだったのに、急にスイッチが入る。そして、サボったせいで凶器みたいになっている爪が、手の甲に刺さるのだ。
その痛みは、僕が奪ってしまった野生の猫としての「痛み」にも感じられて、申し訳ない気持ちになる。
……とはいえ、おたがいのために猫の爪はまめに切ろう、と何度も思ってはいるのだが、きょうも僕の手は引っかき傷だらけだ。
「心配してくれてる?」膀胱を襲う“ふみふみ”の試練
おしっこに行きたい僕の膀胱の辺りで
猫がふみふみをする
「猫は自分の名前がわかっている」とか「猫には人の気持ちが理解できる」とか、よく聞く。
僕は「いやいや、猫は違う名前でも振り向くし、自分の名前でも振り向かないよ」と思っている。人の気持ちだってわかっていないと思う。そもそも人の気持ちなんて、人間同士だって全然わからないよ……。
ここ数日、風邪で寝込んでいた。咳をしながらベッドで横になっていると、冬場は自分の寝場所からほとんど出てこない最年長猫「くう」が、もんやりと姿を現した。仰向けの僕の胸の辺りに乗っかって、覗き込むように僕を見下ろす。
その顔を見たとき「もしかしたら心配してくれているのだろうか」と、思いそうになった。思いそうになったけれど、思いとどまった。
「『大丈夫?』って言っているように見えるのは、僕が弱っているからだ」と、必死で思いとどまりながら、思い至ったことがある。
僕は、たぶん「猫は名前だって理解しているし、人間同士ではわからないようなことでも全部お見通しなんだ」と思いたいのだ。でも、そう思わないように自制している。
くうが、胸の上で香箱座りをして、本格的に落ち着いた。
この重さで、十分だ。いるだけで十分なのだ。
「幸せは、重さだ」。ひざの上で眠る猫を動かせない“至福の掟”
幸せは重くて苦い
ひざに寝る猫を起こさずすするコーヒー
ソファーに座ると待ち構えていたかのように、ひざの上に猫が乗る。気持ちよさそうにのどを鳴らし、しばらくすると眠ってしまう。うちの猫はみんなずっしり重い。ああ、そうだった。そういえば、僕の日常はこんな感じだった。
単身赴任から一年半ぶりに我が家に戻って一ヶ月が経つ。猫たちもようやく「こいつ(僕)は、どうやらずっと家にいるらしい」という程度には慣れてきた。僕のほうも「よくそんなに何もかも忘れてしまえるね」と、妻にあきれられながら、少しずつ我が家のルールを思い出して暮らしている。
ルールと言えば、我が家には「猫がひざで眠っているときは、動かなくてよい」という暗黙の掟がある。
あんなに気持ちよさそうな眠りを妨げていいはずがない、と少なくとも僕たちは考える。例えば妻が「コーヒーを飲みたい」と思ったとして、そのときひざに猫がいれば、必然的に僕がコーヒーを入れることになる。
逆もまた然り。
幸せは、重さだ。一年半の一人暮らしで実感としてわかったのは、このことだった。今わずらわしく感じている重さだって、いつかきっとそれが愛おしいものであることに気づく。
重さとはそういうものだ。
猫が眠るひざの重さは、まぎれもなく幸せとイコールだと思う。妻にコーヒーを入れてもらえるという特権も含めて。
仁尾智 プロフィール
1968年生まれ。歌人。1999年に五行歌を作り始める。2004年「枡野浩一のかんたん短歌blog」と出会い、短歌を作り始める。『猫びより』(辰巳出版)で「猫のいる家に帰りたい」、姉妹誌『ネコまる』(同)で「猫の短歌」を連載中。著書に『猫のいる家に帰りたい』、『これから猫を飼う人に伝えたい11のこと』(ともに辰巳出版)など。
公式サイトhttp://kotobako.com
小泉さよ プロフィール
東京都生まれ。おもに猫を描くフリーイラストレーター。東京芸術大学卒業、同大学院修了。著書に『猫ぱんち―二匹の猫との暮らし―』『和の暮らし』『もっと猫と仲良くなろう!』『さよなら、ちょうじろう。』『うちの猫を描こう!』など。最新刊は『ねこの描き方れんしゅう帖』(日東書院本社)。
公式サイトhttps://www.sayokoizumi.com



