あの日から、1日たりとも考えない日はない
シカにも癒され、職人仕事に感銘を受けた筆者。なんだか帰って仕事をしたくなりました。でも、1つだけ心残りが。祖母の事です。前回の記事で「祖母を捨てた」筆者ですが、忘れた日は1日もありません。慣れ親しんだ大阪。車なら、ちょっと走ればもう、祖母が現在、1人暮らしをしているあの家に着くのです。そして、その家は筆者自身が生まれてから10歳近くまで住んでいた、いわば実家のような存在でもあるのです。
帰阪して家に帰らないことなんて、これまでただの1度たりともなかった。慣れ親しんだ街並みの中を車で走りながら、「かなわんな」とあふれる涙を手で拭いながら苦笑いをしました。そんな筆者に、「家の前を通ってみたら?」と言う夫。「そうやね」と自分が捨てたのに気になるという矛盾した思いを抱えながら、大阪の家の前をゆっくり通ると、明かりがついていました。ほんのわずかに、心が軽くなりました。
自宅へ戻る帰り道、京都のおひいさまの元へ。お嬢さまというよりお姫様のようなお育ちなので、筆者はその女性を「おひいさま」と呼んでいます。道に迷ったときに導いてくれる、道しるべのような存在ですが、1年ぶりに会ったおひいさまは、去年より小さく見えました。
「難しいわね、人生の“しまい方”って」
「今年は本当にいろいろ、大変だったわね。ようやったね」と、優しく筆者に手を添えるおひいさま。張りつめていた糸が、一気に緩んだ瞬間でした。おひいさまのお顔を見て、おひいさまに甘えて、少し落ち着いた頃、自らも闘病中のおひいさまが突然、少し遠くを見ながらこう言ったんです。
「お母さまの訃報を受けて、私もいろいろ考えたわ。本当に難しいわね、人生の“しまい方”って」と。思えば、筆者自身もいつからか足し算が多い人生から、引き算が多い人生に変わりました。おひいさまの言う「しまい方」が「仕舞い方」なのか、「終わり方」なのか。答えを問う勇気もなく、「そうやね」と一言だけ返し、筆者もまた、少し遠くに視線を送りました。