実際にろう者の俳優が演じ、リアリズムも突き詰めた
さらに、『Coda コーダ あいのうた』と共通しているのは「当事者キャスティング」です。母役の忍足(おしだり)亜希子、父役の今井彰人、その他のろう者の登場人物の全員が、実際にろう者の俳優なのです。 それぞれが実際に耳が聞こえない世界で生きてきたという説得力と、俳優としての演技力、さらに細部まで考え抜かれた画作りも加わることで、それぞれのシーンはリアルで、時にはドキュメンタリーのように見えるほどです。呉美保(お・みぽ)監督がろう者の俳優をキャスティングした理由には、やはり『Coda コーダ あいのうた』の影響があったようです。同作でろう者である両親役を実際にろう者の俳優が演じたことが、開かれたキャスティングおよび多様性という見地でも世界的に評価され、そのような動きに積極的に感化されたいと呉監督は考えていたのだとか。 さらに呉監督は『Coda コーダ あいのうた』のパンフレットでDASL(Director of Artistic Sign Language)という、ろう文化の歴史に詳しい専門職のクレジットを見つけたのだそうです。登場人物がより深く掘り下げられ、作品の時代や地域、登場人物の性別やキャラクターに適した手話がディレクションされていると知って、呉監督は「これだ!」と思ったのだとか。
その結果として、『ぼくが生きてる、ふたつの世界』ではろう・手話演出の専門家を招き、さらには手話監修協力として全日本ろうあ連盟も参加し、準備から撮影まで共に細かく丁寧に時間をかけて進められました。さらに、呉監督は1人ひとりの俳優と時間をかけて意見を聞きながら、個々に合った表現に調整していったそうです。
本作のリアリズムは、実際にろう者をキャスティングするだけにとどまらず、ろう者とその文化に向き合い、演出にとことんこだわったからこそ生まれたものなのです。
吉沢亮の手話を含めた挑戦と、劇中の役とのシンクロ
さらに、主人公はろう者ではない俳優が演じていることも『Coda コーダ あいのうた』と共通しています。吉沢亮は本作のために手話を学んだのですが、そうとは思えないほどに自然な手話に見える、時には荒々しい感情までもが(手話を知らなくても)伝わることにも感動がありました。 吉沢亮は、手話を覚えること自体は簡単ではなかったものの、ろう・手話演出家から教わりつつ、けいこを重ねることで習得できた一方で、苦労したのは「会話にしていくこと」だったとを語っています。「相手が何を言っているのかをちゃんと理解した上で、それに反応していく」「眉の動かし方、顔の表情の1つひとつが言語になっている」「手話をする上では“伝える”という思いをより強くお芝居の中に反映させていくというのが必要だった」などが、その理由だったのだとか。
また、劇中の主人公は中学の時に親に反抗して以来、手話でのコミュニケーションを断ち、完全な手話は習得できていないままでいます。
そのため、東京に出て久しぶりに手話をすることに少し戸惑っていたり、時には手話に「方言」もあると気付く様も、リアルに映るのです。ある意味で、吉沢亮が手話を学んでいく過程は、劇中の役にもシンクロしているのです。 さらに、吉沢亮の「不満をため続けているけど、それだけではない」複雑な感情表現そのものにも圧倒されます。正直に言えば、「さすがに中学生を演じるのは無理があるのでは?」と思ってもしまったのですが、実際の「反抗期な中学生」としての幼さをも完全に体現した吉沢亮を見れば納得しかありません。
20歳前後の時の「主体性がないダメな若者」としてのリアルさと、その後の成長で見せる表現の説得力もとんでもないものでした。
また、呉監督は、吉沢亮に「これまでのドラマや映画におけるネイティブ手話を必要とする役、全ての履歴を塗り替えるレベルに持っていきたい」と伝えていたそうです。その高いハードルを越えたことは、実際に映画本編を見れば分かるでしょう。
それは呉監督と吉沢亮の奮闘はもちろん、前述もしたこだわりの監修や、スタッフとキャストの連携のたまものでしょう。
作り手の心情は、原作者ともつながっている
映画の作り手の心情は、原作者の五十嵐大とも一部がシンクロしています。例えば、呉監督の姪は、1歳のときに高熱を出して聴力を失っていたことがあったそうです。急に聴力を失い、音のない世界で過ごす姪がろう学校に行き始めて、言葉を得るように手話を得ていく姿を垣間見て、ろう者の世界、手話の世界に興味を持ったときに、『ぼくが生きてる、ふたつの世界』の映画化の話が舞い込んできたのだとか。
さらには呉監督は在日韓国人の家族のもとで生まれ育つ中で、「普通だと思っていたことが普通ではなかった」と思わされることが多々あり、思春期の頃に「急に恥ずかしくなって多数派に溶け込もうとした」こともあったそうです。
その上で『ぼくが生きてる、ふたつの世界』の原作を「“ふたつの世界”でどんな風にアイデンティティーを築いてきたんだろう」と興味深く読み進め「これは私自身のことも重ね合わせて表現できるんじゃないか」とも思ったのだとか。 さらに、脚本を手掛けた港岳彦も、文庫化された原作のあとがきで、自身の重度の知的障がいのある弟との関係を踏まえて原作を読み、「勝手に同士的な絆を感じた」うえで、脚色作業のためにろう者に取材したり、いろいろな書籍を読んだりする中で、その理解は少しずつ変化してきたとつづられています。
そうした家族や身近な人を通した経験がある人のみならず、『ぼくが生きてる、ふたつの世界』で描かれていたのは、やはり普遍的な若者と家族の姿でもあり、多くの人の共感を呼ぶことでしょう。それは、原作者と作り手が、その心情を深く理解し、これ以上なく丹念に伝えようとした結果としてあるものです。
映画の後に原作を読むと、よりろう者の世界の理解が深まるでしょう。映画と併せて、ぜひ読んでみてください。
この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「CINEMAS+」「女子SPA!」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。