筆者はちょっとこの意見には賛同しかねます。保護者と学校のコミュニケーションも、保護者が子どもの権利を守るために要望を行うことも大事だと思うのですが、現状「要望を出すためにPTAが絶対必要」とまでは言えないと思うのです。また、要望を行うほかのさまざまな方法を見えづらくするようにも思えます。
PTAやP連で行う要望については、いろいろと考えるべき点があると感じてきました。今回はそれを、お伝えできたらと思います。
要望を出す活動をしていないことも多い
「要望のためにPTAが絶対必要」に首をひねる理由の1つ目は、現状、要望を出す活動をしていないPTAやP連も多いことです。まずPTAに関していえば、そもそも「要望」を活動内容として掲げているところはほとんどないと思います。良し悪しは別として、PTAは保護者が要望を出す場というより、学校が求めることに保護者が協力する場のように捉えられてきました(戦後に文部省が発行した「父母と先生の会(PTA)参考規約」などの影響もあると思うのですが、ここではいったんおきます)。
PTA会長や役員さんが校長先生と話をするときに、「こうしてほしい」といった思いを伝えることはあるでしょうが、それは「PTAとしての要望」とまでは言えないのでは。それはやはり会長や役員さん=一部の保護者からの提案・意見と考えるのが妥当かなと思います。
一方、P連は時々「要望」を行っているのを見聞きするのですが、これも全てのP連がやっているわけではありません。どちらかというと多分、要望していないところのほうが多いかなと思います。
「要望をしている」という場合も、中身を聞くと「え、それが?」と思うこともあります。例えばある自治体では、毎年地元の議員たちと各校のPTA会長が学校予算について話し合い、P連で要望を出しているというのですが、予算増額を求めるのでなく、どの学校が先にもらうか順番を決めているだけでした。それは要望ではないでしょう。
要望が通らなくても毎年同じ方法で続けている
2つ目の理由は、せっかくP連で毎年要望を行っていても「ほとんど実現していない」という話も意外と聞くからです。例えば、あるPTAが通学路の危険箇所の改善要望を毎年行政に出していたのになかなか実現せず、悲しい事故が繰り返されてしまった、ということもありました。特別支援学校のP連についても、似た話を聞くことがあります。最近お会いしたあるPTA役員さんは、こんなふうに話していました。
「うちのP連では毎年保護者にアンケートをとって要望をとりまとめて、行政にあげています。でも、どれも毎年出している要望ばかりなんです。総会で私が『去年出した要望のうちどれが実現しましたか?』と質問したときは、会場が静まり返ってしまいました。
行政は『偉い人が話を聞いてあげたんだから、それでいいでしょ』と思っているし、保護者も保護者で、要望書を渡して担当者と並んで写真を撮って『よし、意見言ったぜ』みたいになっている。要は形だけなんですよね」
耳が痛いかもしれませんが、こういうケースも実は多いのでは。「例年通り、今年も要望を出しました/受け取りました」で、みんな満足してしまうのです。
「だからよく『PTAやP連がないと自分たちの意見を吸い上げてもらえない』というのは、申し訳ないけれど、思い込みでしょう。アンケートを準備したり回答を集計したりするのにも、相当手間と時間がかかるので、結果が出ないんだったら、要望はやめたほうがいいよって思います」(前述のPTA役員の女性)
そうだよね、と筆者も思います。要望を出して「それがどの程度実現したのか」を考えず、毎年同じ要望を、同じやり方で出し続けても、意味がありません。
なお、このP連で出した要望を見せてもらったところ、アンケートで集まった多様な意見や望みをそのまま伝えるものでした。これは受け取ったほうもアクションしづらいかもしれず? 公平に絞り込むのも難しい(手間がかかる)ので、そこはやむを得ないかな、とも思うのですが……。
要望の話に限りませんが、PTAやP連はただ前年通りの活動を繰り返すのでなく、活動の目的や、手間暇と効果のバランスを考えて、継続するかどうか、やり方をどうするか、毎年考えたほうがいいと感じます。