※以下、『SING/シング:ネクストステージ』の本編の結末を含むネタバレに触れています。
問題その1:主人公チームが犯罪行為を繰り返しているのにおとがめなし?
本作の大きな問題点は、主人公である劇場支配人でコアラのバスター・ムーンが、過剰にイヤなやつに見えてしまいかねない点。もっといえば、チームの悪い行いを肯定してしまっているようなモヤモヤが残ってしまうことです。例えば、彼らは序盤から清掃員に変装して建物へ侵入し、オーディションに強引に参加するという、犯罪に限りなく近い行動に出ています。そこはまだチャンスそのものを与えられなかった事情もあったとはいえ、その後にムーンは(はっきりとは口にしなくても)「伝説的シンガーと親しいから連れて来られる」というウソでしかない立場を利用して、ほぼ詐欺といっていいやり方でパフォーマンスの場所やスタッフやセットを手にしているのです。
物語上では悪役として置かれたオオカミのジミー・クリスタル社長は、高圧的かつ独善的なイヤなやつであることはまだしも、ムーンの首をつかんで高いところから落とすという殺人未遂を犯していたので、もちろん擁護はできません。
ただ、ムーンたちのほうはショーをゲリラ的に決行するだけでなく、ブタのロジータの子どもたちに食べ物でいっぱいのパーティー会場を荒らさせたり、ジョニーの父親とその仲間たちが明らかに腕力で邪魔者を倒していたりもしていて、やはり「主人公チームのほうもめちゃくちゃ悪いことをしているのでは……?」と思ってしまいます。最後にジミーだけが警察に逮捕するように言われ、ムーンたちはおとがめなしというというのは、さすがに納得できないのです。
さらに気になるのは、序盤に少しだけ登場していた制作スタッフたちへのフォローがほとんどないこと。あれほどのパフォーマンスができたのはムーンたちだけの力ではなく、一流の美術や照明や音響などがあってこそでしょう。これだけ犯罪行為を繰り返し、資本や技術を横取りしたようなムーンたちが肯定され、さらに羽ばたいていけるようなラストはやはりモヤっとします。
問題その2:そりが合わない相手とのラブシーンはそのまま?
もう1つ、大きな問題といえるのは、奥手な女の子であるゾウのミーナの立場とその顛末(てんまつ)です。彼女はボーイフレンドもいたことがないのに、キスを含むラブシーンを演じることに不安を覚えるのですが、ムーンは「ああ、いいシーンだよ! 美しくって!」「心配ないって、相手役にはいい人を選ぶから! 約束する!」と返すのです。しかも、実際にミーナとペアを組んだのはイケイケな自信家で、ミーナの名前を間違え続ける不遜さもあるヤクのダリウス。ミーナとはそりが合わないままで、さすがのムーンもリハーサルで「この曲だとミーナの良さが消えちゃうよ」などと検討はしていましたが、結局は役を変更することはありませんでした。ミーナはダリウスを、恋焦がれるアイスクリーム売りのゾウのアルフォンゾだと「思い込む」というかたちで乗り切ったのです。
もともとは歌手を目指していた(しかも10代の少女に思える)ミーナに俳優としての役割を担わせ、しかも望まないラブシーンまで演じさせ受け入れさせたまま……というのは悪い意味で古い価値観に縛られているかのようです。芸能界や映画業界での性的暴行や性的シーンの強要が問題として顕在化し、それに社会全体で向き合おうとしている昨今の事情を鑑みても、もう少し別の描き方があったでしょう。
なお、親のジミーからゴリ押しで宇宙飛行士役を担わされたオオカミの女の子のポーシャは、その役にふさわしい演技力を持っていなかったものの、最終的には役をブタのロジータへと渡して、さらに自身の歌の才能とワイヤーアクションを生かせる宇宙人役で見事なパフォーマンスをしていました。
これ自体は「人にそれぞれより輝ける場所や役割がある」という、エンターテインメントで働く人に限らない素晴らしいメッセージでしょう。ミーナの件は、それとは対照的な解決方法を示したともいえるのですが……結局は「我慢する」「想像で乗り切る」では、その精神をないがしろにしてしまったようにも思えるのです。
前作の「嫌われ役」がいなくなっていた
前作『SING/シング』でも、ムーンは自分勝手な行動を取り続け、かなりひどいウソをついてだましてしまうイヤなやつで、周りのキャラクターが彼に対して優しすぎると感じてしまう危うさがありました。しかし、彼自身の反省と成長、切なくもおかしい「洗車」のシーンで「罰」もしっかり描かれてて、最低限のバランスは取れていたと思うのです。さらに、前作ではネズミのマイクという、ムーン以上に傲岸(ごうがん)不遜で、しかも成長もしないキャラクターが、「嫌われ役」を引き受けている印象がありました。
そんなイヤどころか嫌悪感をはっきり覚えてしまうマイクは、今作『SING/シング:ネクストステージ』とは異なり、物語上では倒すべき悪と置かれているわけでもありません。終盤のとある歌声に魅了され、自身も見事な歌を披露する様には、単純な善悪だけでは語れない感動があったのです(今作でもダンスインストラクターのテングザルのクラウスがイヤなやつで、吹き替え版ではマイクと同じ山寺宏一が声を担当していたりもします)。
もちろん、そうした「正しくなさ」は賛否両論を呼ぶでしょう。しかし、道徳的な「正しさ」だけが映画の魅力ではありません。なんなら悪人がのし上がっていく「ピカレスク・ロマン」というジャンルの作品だってありますし、そこから反面教師的な学びが得られることもあるのですから。
とはいえ、『SING/シング』シリーズはやはり子どもも見るファミリー映画。劇中で断罪されないにしても、悪い行いを“悪い行い”として描くのではなく、もはや“全肯定”してしまうようにさえ見えるのは、教育的観点からしても危ういと思ってしまうのです。前作ではギリギリに保たれていたバランスが、今作では崩れてしまったともいえるでしょう。
「現状とは違う道を見つける」メッセージの尊さ
そんなふうに『SING/シング:ネクストステージ』への批判を多く挙げてしまいましたが、それでもなお好きなポイントはたくさんあります。
例えば、ゴリラのジョニーがアクションへの自信を得るためにストリートダンサーのオオヤマネコのヌーシーと交流したり、引きこもりだった伝説の歌手でライオンのクレイ・キャロウェイが「逃げ隠れしたって、なんの解決もならない」などとムーンたちに諭したりすることが、圧巻のステージパフォーマンスにつながったりもします。
やはり「現状とは違う道を見つける」メッセージは、ふさぎ込んだ大人にとっての勇気や希望を示す、とても尊いものであるとも思います(もちろん犯罪行為はダメですが)。
また、そのクレイ・キャロウェイがヤマアラシのリジーの歌を聞いて、あまりにあっさりと心変わりをしたように見えるという指摘もありますが、個人的には納得できるところもあります。歌そのものに、それだけの力があるという、『SING/シング』シリーズに貫かれた精神そのものに思えたのですから。
この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「CINEMAS+」「女子SPA!」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。