国内最後のツアーは、SL+ロイヤルエンジン重連で上野を発車
けん引機は、主としてEF65形1000番台やEF81形など電気機関車が用いられ、北海道ではDD51形重連が先頭に立った。そして、国内最後のツアーでは、当時のJR東日本の副社長山之内秀一郎氏の公約通り、復元工事が終わったばかりの蒸気機関車D51形498号機とロイヤルエンジンEF58形61号機の重連で12月23日夕闇迫る上野を出発、D51形は大宮で切り離され、その後、上越線の水上までEF58形61号機がヘッドマークを掲げて先頭に立った。 復路は、12月25日に水上から上野までEF58形61号機が先頭に立ち、オリエント急行日本ツアーの有終の美を飾っている。今回の鉄道博物館でのヘッドマーク掲出は、35年前の晴れ姿を彷彿とさせるものなのである。サロンカーが再び日本へ、箱根ラリック美術館で展示中
もう2度と日本へやってくることはないと思われたオリエント急行だったが、車両を保有していたイントラフルーク社が経営難から車両を手放してしまった。紆余曲折の末、日本でサロンカー(食堂車)として編成に組み込まれていたNo.4158が1両のみではあるが、箱根にあるラリック美術館に移送され展示中だ。 ガラス工芸家・宝飾デザイナーだったルネ・ラリック氏がサロンカー内部のデザインを担当したことから、この美術館で展示されているのだ。車内で優雅なティータイムを過ごせるようになっている。走るわけではないけれど、本物のオリエント急行で使われた豪華な車内を見学がてら出かけてみてはいかがだろうか?なお、鉄道博物館のEF58形61号機は、2024年1月2日からは、お召飾りが施される予定だ。
この記事の筆者:野田隆
名古屋市生まれ。生家の近くを走っていた中央西線のSL「D51」を見て育ったことから、鉄道ファン歴が始まる。早稲田大学大学院修了後、高校で語学を教える傍ら、ヨーロッパの鉄道旅行を楽しみ、『ヨーロッパ鉄道と音楽の旅』(近代文芸社)を出版。その後、守備範囲を国内にも広げ、2010年3月で教員を退職。旅行作家として活躍中。近著に『シニア鉄道旅の魅力』『にっぽんの鉄道150年』(共に平凡社新書)がある。
名古屋市生まれ。生家の近くを走っていた中央西線のSL「D51」を見て育ったことから、鉄道ファン歴が始まる。早稲田大学大学院修了後、高校で語学を教える傍ら、ヨーロッパの鉄道旅行を楽しみ、『ヨーロッパ鉄道と音楽の旅』(近代文芸社)を出版。その後、守備範囲を国内にも広げ、2010年3月で教員を退職。旅行作家として活躍中。近著に『シニア鉄道旅の魅力』『にっぽんの鉄道150年』(共に平凡社新書)がある。