毎年秋頃、全国の小中学校で「周年行事」が行われます。周年行事、知らない人もいるでしょう。これは学校で創立から10年ごとに行われる、お祝い行事のこと。
よくある内容は、近隣の自治会長やPTA会長、地元議員などの「来賓」を招いて体育館で式典を行い、子どもたちに記念品を配布する、といったもの。子どもの頃に「祝・創立○十周年」なんて書かれた下敷きや記念誌をもらった人も多いのでは。そう、あれです。
4、5年前まではよく、式典のあとに「祝賀会」も行われていました。体育館を会場に、ケータリングで頼んだ飲食物を来賓らにふるまったりして、担当になったPTA役員さんは招待状を送ったり、席次表をつくったりと大忙しだったものです。
でも今は、祝賀会の話をめっきり聞かなくなりました。コロナを機に、式典だけ残して祝賀会はなくした学校が多いようです。
一方で、「学校から『これが欲しい』と寄贈品を要望された」といったPTA役員さんの声は、今年もいくつか聞きました。
PTAは周年に備えて、毎年会費から一定額を積み立てていることがよくあるのですが、このお金から学校に物品を寄贈することがあり、中には、学校のほうから「これが欲しい」と指定してくることもあるのです。
昔から続いてきた慣習ではありますが、PTAが行う学校への寄付には、実はいろいろと問題もあります。
寄付の割り当て徴収(強制)は法律上もNG
まず、「寄付」というのは本来、自らの意思でお金を出す行為のこと。でも、日本のPTAはいまだに、本人に加入意思を確認しないまま会費を集めていることが多く、そのお金で行う「寄付」は、本当の寄付とはちょっと言い難いところがあります。法律上も実は問題があります。地方財政法には、こんな条文があるのです。
それにそもそも「義務教育は無償」と、憲法でうたわれています。つまり、保護者からお金を集めてやるものではないということです。<地方財政法>(割当的寄附金等の禁止)
第四条の五 国(略)は地方公共団体又はその住民に対し、地方公共団体は他の地方公共団体又は住民に対し、直接であると間接であるとを問わず、寄附金(これに相当する物品等を含む。)を割り当てて強制的に徴収(これに相当する行為を含む。)するようなことをしてはならない。
さらに、学校教育法や地方財政法、施行令でも、学校等の経費負担についてルールが定められています。<憲法>
第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
二 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
これらを考えると、加入意思を確認したうえで会費を徴収し、割り当てではない本当の寄付にすることは、やはり必須でしょう。同時に、PTAの寄付を前提としない学校運営も考えなければなりません。
「言ってもどうせ出ない」は思い込み?
「いやいや、そうはいっても、学校にはお金がないんだから、PTAの寄付は欠かせないでしょ」と思う人もいるでしょう。でも実は「言うと意外と出る」こともあるのです。例えば筆者も昔、こんな経験があります。学校の校庭の脇に、ネットとそれを張るポールが必要だから、PTAの繰越金を使ってはどうかという話が保護者の中から出ました。
でもそれは学校の設備ですから、本来公費で出すべきもの。そこで校長先生にダメもとで、「まずは教育委員会に予算がおりないか聞いてもらえませんか? それでダメならPTAで出すのがスジだと思うので」と聞いてみたのです。
すると後日、予算がおりたとのこと。「あ、出るの……?」と、正直びっくりしました。
取材していると、同じような話はときどき聞きます。千葉県松戸市の元PTA会長・竹内幸枝さんも、教育委員会に「本当にそれはPTAのお金がないと買えないんですか?」と尋ねたところ、「それは学校が言ってくれれば出すんですけど、言ってこないから出さないだけで……」と言われたことがある、と話していました。(拙著『さよなら、理不尽PTA』より)
もしかすると、われわれは「学校に予算は付かないに決まっている」という思い込みが強すぎて、過剰にPTA予算を投入している面もあるのかもしれません。
最近、現役の市長さんからも同様の話を聞きました。2018年、兵庫県川西市で保護者の負担軽減のため「PTAのあり方検討会」の設置を掲げて市長に当選した、越田けんじろうさんです。
「言ってもどうせ予算は出ないだろう、と思われているのかな、という印象はあります。学校現場で教育委員会に要望を上げても通らないと思われていたら、私には話すら上がってきません。本当に必要なものには、予算を付けます」(越田さん)