一方で、ポップスターのカミングアウトがほとんどなかった日本
日本では、1950年代にユニセックスで美しいシャンソン歌手として注目され、同性愛者であることもカミングアウトした丸山明宏さん(現:美輪明宏)という偉大なスターがいます。『黒蜥蜴』などの映画、『毛皮のマリー』などの舞台でも活躍し、現在に至るまでトップクラスのアーティストとして尊敬される存在です。性的マイノリティに限らず、悩める人の相談に答えたり、社会問題に関して発言したりもしています。美輪さんの後に、俳優のピーター(池畑慎之介)さん、評論家のおすぎとピーコさん、タレントのカルーセル麻紀さんらが続き、メディアをにぎわせてきました。
ただ、音楽チャートの上位に入るようなメジャーな歌手やポップスターのカミングアウトはほとんどありませんでした。その原因の1つは、1980年の騒動にあると考えられます。
13回連続で紅白に出演し、紅組司会も務めていた国民的歌手の佐良直美さんが女性タレントのキャッシーさんと恋愛関係にあることを、キャッシーさんが一方的に話してしまったため大騒動に。週刊誌やワイドショーなどで連日”レズ”などと叩かれ、佐良さんは事実上芸能界を干されてしまったのです。
芸能界の同性愛者たちは震え上がり、絶対に公表はできないと肝に銘じました(もちろん全国の当事者たちにとってもトラウマとなるような、本当にひどい事件でした)。
その後、カミングアウトする人はすっかり減り、週刊誌でスキャンダル的に同性との関係が暴露されるほか、日出郎さんやはるな愛さんのように「タレントとしてCDも出す」というようなケースがほとんどでした。
メディアの姿勢、誹謗中傷などがカミングアウトを遅らせてきた?
東京少年のボーカルとしてアイドル的な人気を博し、解散後にソロで活動していた笹野みちるさんが、1995年に『Coming OUT!』(幻冬舎)という自著とともにレズビアンであることをカミングアウトしたのは、画期的で歴史的な出来事でした。しかし笹野さんはその直後(おそらく心ない言葉に傷ついたのでしょう)心身に不調をきたし、地元の京都に戻ることに。音楽活動はマイペースに続け、近年は大阪のLGBTQイベントなどにも出演しています。
1999年には、まさにポップスターというべき人が、薬物使用容疑で逮捕され、週刊誌などで交際相手や性的指向のことが暴露され、面白おかしく書かれ……という悲しい出来事もありました。こうしたメディアの姿勢こそが、ポップスターのカミングアウトを遅らせる要因になってきたのは間違いありません。
2010年代以降は、歌手&舞台俳優の田中ロウマさんがカミングアウト、バイセクシュアルであるとカミングアウトしたキムビアンカさんがメジャーデビュー、歌手の天道清貴さんが東京レインボープライドのステージでカミングアウト、元でんぱ組.incの最上もがさんがバイセクシュアルであることをカミングアウト、といったことがありました。
星屑スキャット、SECRET GUYZ、八方不美人など、カミングアウトした上でユニットを組んで活動する人たちも現れたり、2021年に宇多田ヒカルさんがInstagramのライブでノンバイナリー(性自認が典型的な男性/女性に当てはまらない人のことで、日本ではXジェンダーとも言われます)だと語ったりしたことも話題を呼びました。しかし、宇多田さんは声明などを発表したわけではありませんし、その後、特にこの件については語っていません。
事務所や関係者がカミングアウトを止めるケースも
こうして並べてみると、あるにはあるのですが、日本ではメジャーなステージで活躍するポップスターが自ら堂々とカミングアウトしたケースはほとんどなかったと言えます。特にオネエタレントやドラァグクイーンではないゲイのカミングアウトは本当に希少でした(男性社会ではゲイのほうがホモフォビアを受けやすいのです)。メディアがどんなふうに面白おかしく書き立てるか、ネット上でどんなに騒がれるか、ファンにどんなふうに思われるだろうか……と思うと怖くて言えないのだろうと、容易に想像できます。
また、俳優として『仮面ライダーゴースト』(テレビ朝日系)などに出演した後、渡米してモデルとして活躍している柳喬之さんが「日本の芸能界で『現場では絶対言うな』『そんなこと言ったら俳優の仕事はできなくなる。二丁目で働くしかなくなるよ』と言われた」と明かしているように、事務所や関係者がカミングアウトを止めてしまうケースも多いようです。
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