人工妊娠中絶は、女性の体の「権利」から「政争の具」となった
人種のるつぼや多様性の国で異なる価値観に対して寛容とされるアメリカだが、その国土にはキリスト教的価値観が刷り込まれている。学校やボーイスカウトで小さい頃から子どもたちが歌い、大統領就任式ですら歌われる、事実上第2のアメリカ国歌「God Bless America」は、「神よアメリカを守りたまえ」と朗々と歌い上げる。神にも色々いるが、その神とはそもそも誰のためのどこの神を意味しているだろうか。八百万の神やイスラムの神でないことは確かなようだ。合衆国憲法前文も、「We the People of the United States(我ら合衆国の人民は)」で始まる。合衆国憲法草案が完成した1787年当時の「我ら」に女性が入っていないことは自明である。
中絶反対は倫理問題の仮面をかぶってはいるが、アメリカ建国の時代に入植した、キリスト教を信仰する白人男性がこの時代に甦らせた(そこに女性がいろいろ自己正当化して共鳴した)無神経で、いくらか嗜虐的に歪んだ願望だと捉えられている。実際、最高裁判事たちの意見書が米政治ニュースサイト「ポリティコ」にスクープされ、「ロー対ウェード判決」が覆されることが濃厚と報じられた5月初旬以来、各地で起こったデモで「中絶は殺人だ(Abortion is murder)!」と他人事のように唱える男性の群衆と、「私の心と体は私のもの(My mind and body, my choice)! 触るな(Hands off my body)!」と叫ぶ女性の群衆は、明白な対立の姿を見せていた。
そしてわざわざこんな「分断」を起こしたのも、選挙票のために最高裁判事メンバーの保革バランスを崩して保守派に有利な展開を企んだ共和党の30年越しの政治戦略なのである。米リベラル系メディアは、戦略のターニングポイントとなったトランプ政権時代の「トランプによる最高裁判事保守派3人送り込み」を阻止できなかったことを、心の底から悔やんでいる。