「西原理恵子」という生き方
西原理恵子さんという作家は、無礼と無頼を身上とする、珍しい作家だ。武蔵野美術大学卒の実力を携えながらもエロ雑誌の挿絵書きとしてキャリアを開始。稼いだお金をギャンブルと酒に派手に注ぎ込んでギリギリの暮らしをし、それを作品に赤裸々に描いた。独特な線や色使いと手描き文字でつづられる作品メッセージは強くリリカル、かつエモーショナルで、「西原理恵子の世界観」は大手リベラルメディア人や、活字媒体を好む比較的エリート層の読者に熱烈に支持された。
当時、出版社や広告代理店の人間が発したという「女性の無頼は西原だけでいい」「お前は生い立ちがこじれてるからいいよな」などの言葉には、西原理恵子というまねのできない作家に対する、エリートの羨望(せんぼう)が顔を出す。アル中父の暴力、高校訴訟の経験、ギャンブルによる金銭問題や税務署との攻防、戦場ジャーナリストとの結婚、アルコール依存症によるDV、離婚、復縁、夫のがん闘病に死別と、西原さんはプライベートの出来事を隠さず作品化し、それはまさに「生きる私小説作家」という深く暗い業でメシを食い続けてみせるとの、強い意志の具現化でもあった。
その彼女が『毎日かあさん』で自らの家庭生活を作品にし、国民的「母さん」になったのは、もちろん作家として十分に戦略的な選択だった、と本人が作品中で述べている。女性ではない誰かが「女性活躍推進」という言葉をどこかで言い出す前から、上京した女の子が1人でどう男性に搾取されたりされなかったりしながら生きていくか、自分で稼いで生き残っていくか、「男と女が寝たら子どもができるんだよ」「地元の女たちはそうやって、無責任な男たちの尻拭いに振り回されて生きて埋もれた」「だから自分の腕で食える女になれ」と強烈に発信してきた張本人が西原さんだ。
西原作品が2000年代以降の女性に与えた影響は大きい。老若の女性の中に無数の崇拝者が生まれ、特に出産育児を経験した女性には絶大な人気があった。母親当事者である彼女は、女性の「母」の顔にとどまらず「妻」「女」としての顔も描いた。彼女の描く子育ては、どこかの大学の先生やナントカ博士が教えるような子育て理論の正解ではなく、日常の大小の出来事全てに愛憎があり、その向こう側に喜びがあり、生きていてよかったと必ず思えるカタルシスを生んだ。彼女が子育てのカタルシスを作品に描いたからこそ、「サイバラ後」の子育てエッセイ漫画というジャンルが開けたのだ。
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