しかし、その廃墟となった街の奥深くには、故郷への愛を貫き、自給自足で静かに余生を送る「サマショール(自主帰還者)」と呼ばれる人々がいます。
旧ソ連全域を巡る写真家・星野藍氏の著書『旧ソビエト連邦を歩く』(辰巳出版)より一部抜粋・編集し、息を呑むような廃墟の絶望感から、福島出身である著者の葛藤、そしてその奥地で出会うお婆ちゃんとの心温まる交流まで。「死の気配」と「生の温もり」をたどる紀行文をお届けします。
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「死の土地」と呼ばれた街に、今も残る光景
このゾーンとも呼ばれる区域で最も栄えていた街・プリピャチに残る16階建の高層ビルは、この死の土地で一番高いビルだ。
廃墟化した街には当然電気など通っていないので、階段を自分の足でひたすら上っていくしかない。
息が上がるも早まる気持ちは抑えられない、屋上への扉を抜け目の前に飛び込む黄金の秋。廃墟と化したプリピャチの街は、30年近く放置された天井知らずに成長し続けるポプラの木々に飲み込まれていく。
地平線の彼方まで出口のない深い森が続いている気がした。言い知れぬ不安と絶望が風と共に駆け抜けていく、何も終わってなどいないのだな、と。
福島出身の筆者が抱いた葛藤。「憧れの廃墟」としては撮れない
2011年3月11日、東日本大震災。この日私は東京にいた。神社に一時避難していた時、津波や原発事故の事をアルジャジーラで知った。故郷福島市は福島第一原発から約60km離れた所にある。
当時南向きに吹いていた風が西北西の内陸部へと向きが変わった事により、福島市だけではなく福島県全域が汚染される事になった。
3月16日頃、実家付近でガイガーカウンターを用いて空間線量を測っていたある男性は、10マイクロシーベルトを超えたと言った。
もしかしたら自分の故郷は人が住めない死の土地となってしまうのではないだろうか、そんな不安が頭をよぎった。
廃墟化した街。真っ先に思い浮かんだのはチョルノービリだった。



