本記事は、その研究メンバーの1人だった小池伸介氏の著書『ある日、森の中でクマさんのウンコに出会ったら〜ツキノワグマ研究者ウンコ採集フン闘記』(辰巳出版)より一部抜粋。日本からロシアへの捕獲トラップの運搬、当局との複雑な申請手続きや検問など、誰も知らないクマの真実に迫るために経験した、予測不能な大自然と行政の壁との“フン闘”の様子を紹介します。
ロシアのクマはトラに食われる!?
海外調査といえば、2012年から始まったロシアでの調査も思い出深い。ロシア沿海州のウラジオストクから700kmほどの場所にあるシホテアリン自然保護区は、ちょうど日本の稚内の対岸あたりにあって、アフリカのセレンゲティやンゴロンゴロと並び多様な食肉目の哺乳類が生息する地域として知られている。そこはオオカミやアムールトラ、アムールヒョウ、そしてヒグマとツキノワグマが暮らしているという世界でも非常に珍しい場所なのだ。
私がロシアに行ってみようと思ったのは、いつも国際会議にやってくるロシア人の研究者のイヴァン・セオドーキンさんが、「シホテアリンではクマがトラの主食なんだぜ。冬眠しているツキノワグマをトラが引きずり出して食べるんだよ。だから、そこのツキノワグマの冬眠穴は木の高いところにある」なんて物騒な話をしているのを聞いたのがきっかけだ。
クマが食べられてしまうってどういうことだよ!?
しかも、ヒグマとツキノワグマが同居する場所なんてロシアと北朝鮮にしかないのだ。どうやって住み分けているのか、この目で見てみたいじゃないか。これは行くしかない!
同じような思いに駆られたクマ研究者は私ひとりではなかった。そして、みんなで力を合わせてロシアでの現地研究プロジェクトが動き出したのであった。
「クマより手強い」ロシアの壁
ところがその準備は予想以上に難航した。何がそんなに大変だったのか。まずは、道具の調達である。もともと、ロシアではクマを捕獲する際には「くくり罠」という道具を使っていた。これは、ワイヤーロープを輪の形にしたものを地面に置き、その先にエサを置くという形式の罠である。エサを食べにきた動物が輪の中に手足を踏み込むと、罠が踏まれてワイヤーが締まる。すると、動物の手足がくくられて動けなくなるのだ。
動物をつかまえやすくはあるのだが、時間が経つにつれてワイヤーがどんどん締まっていくので、すぐに外してやらないと動物が傷つきやすい。しかも、くくり罠を使うと、クマだけでなく希少なトラも捕獲されてしまうということで、ロシアでは使用が禁止されるようになってしまったのだ。
仕方がないので、日本で使っていたドラム缶を連結した捕獲トラップを使うことにした。このトラップはちゃんとした図面があるわけではなく、いつも同じ鉄工所に作ってもらっていた。言葉の壁があって仕事ぶりもよくわからない現地の工場に発注するのは無謀である。
そうなると、日本で作ってロシアに持っていくしかない。あとはどうやって運ぶかだが、ちょうど当時はロシアから日本に木材を輸入していたため、その船がロシアに帰っていくときに載せてもらうことにした。
ほかにも、首輪の電波を使う権利など、海外で研究を進めるためには政府や現地の役所へのさまざまな申請が必要になってくる。しかし、こういった一連の手続きというのは、いちいち許可をもらうのにお金(いわゆる「袖の下」)を要求されるのである。
しかも日本の役所では考えられないほど時間がかかる。そんなこんなで、気が付いたら実際の調査が始まるまでに2年が過ぎていたというわけだ。



