日本はどうやって「未来の脅威」に備えているのか
国家安全保障の3文書というかたちでまとめられるようになったのは、2013年からです。以前は「国家安全保障戦略」という名称の文書はなく、「防衛計画の大綱」(いわゆる「防衛大綱」)と「中期防衛力整備計画」という文書がありました。
防衛大綱は、10年後くらいを見通して情勢を分析し、その中で防衛力はどのような役割を果たすべきかについて定め、その役割を実行するためにどういった態勢が必要か、具体的な兵力装備の量や部隊の数を示します。
防衛大綱の末尾には「別表」というものがあって、その中で10年後の自衛隊の兵力構成が示されるのです。
とはいえ、単に10年後の姿を思い描くだけでなく、この10年間に様々な努力を重ねなければその姿には届きません。そのため別表とは別に、5年間の装備調達計画を定めた中期防衛力整備計画が作られます。
つまり、理屈の上では2回の中期防衛力整備計画を経て10年間で、防衛計画の大綱の別表で示された自衛隊が完成するわけです。
ただし、実際にはこのスケジュールが機能したことはあまりありません。なぜでしょう。
防衛大綱が最初に作られたのが1976年、ちょうど冷戦期です。その後、中曽根内閣のときなどに自衛隊の強化が実施されていますが、大綱の見直しは行われないまま、冷戦が終わりました。その後、1995年になって新しい防衛大綱が作られます。
世界と政治の激変に翻弄されてきた「防衛大綱」
次に防衛大綱が作られたのは2004年。10年を待たずに刷新されたのは、この期間中にいわゆる9.11、アメリカ同時多発テロ事件が発生したことが大きく影響しています。インド洋やイラクに自衛隊が派遣されることになったのが、このときの見直しの大きな要因となりました。
その後、2009年に新たな防衛大綱と中期防衛力整備計画を作る予定でした。しかしこの2009年の夏、政権交代の選挙があり、政権が自民党から民主党に移りました。
そして、民主党政権では、改めて防衛大綱の見直し作業をすることになり、予定を延期して2010年に新しい防衛大綱が発表されました。「動的抑止」が盛り込まれた防衛大綱です。
その後、2012年12月の選挙で自民党が政権与党に返り咲きます。自民党政権はあらためて防衛大綱の見直しに着手。2013年に安倍政権で最初の国家安全保障戦略ができました。
振り返ってみると、1976年に作成された防衛大綱が19年後に見直され、以降はそれぞれ9年後、6年後、3年後の改定です。



