前置き:老若男女へ素直におすすめできる「とても丁寧に作られたアニメ」だけど……?
その本編は、老若男女に大推薦できる、見た後は元気がもらえる、「とても丁寧に作られたアニメ」の理想形といえる完成度でした。
予告編やビジュアルから多くの人が想像する物語とは(おそらく)少し異なること、「バレエ作画監督と振付師」「殺陣(たて)作画監督」「メカデザインとメカ作画監督」というスタッフがいた理由、さらには予定調和にならない(ここは好みは分かれるかも?)要素もあることも知ってほしいです。 大きなネタバレにならない範囲で、見どころをまとめていきましょう。
1:「主人公は友達を応援する立場」だけど「早くから行き詰まってしまう」
本作の舞台は1912年のパリで、描かれるのは2人の日本人の少女がたくましく生きる姿。画家を夢見るフジコと、バレエに心惹かれる千鶴という2人ともが、親から望まれていることとは違う道を選んでいることが重要でした。フジコは夫を支えるよき妻となる将来を望まれながらも、絵の勉強のためにパリにやってきます。一方で千鶴は武家の家系に生まれた薙刀の名手ながら、バレエに心惹かれていました。
一方でフジコは、保護者である叔父さんが突如として失踪してしまい、帰国を促されてもなんとか仕事を見つけてパリでの暮らしにしがみつき、バレエにいそしむ千鶴のサポートをして、さらに多くの人と出会うのですが……。
2:「このための物語」と気付くことに感動がある
2人の少女が共に夢に向かって励み合っていく物語かと思いきや、「自分だけが早くから行き詰まってしまう」どころか「夢のために何もできないでいる」ことに、もどかしさを覚える人は確実にいるでしょうし、そこは好みが分かれるところでしょう。しかし、筆者はそれこそが『パリに咲くエトワール』の本質だと思いました。
自分が友達を応援する気持ちにウソはないし、自分は夢を諦めていないはず。でも、そのことがまた彼女を苦しめる……では、どうしたらその夢に対して何もできない状況を打ち破ることができるのか?という問いからの答えがとても鮮やかで、「このための物語だったんだ」という大きな感動があったのです。 そのフジコが塞ぎ込むばかりか、元々持っていたはずの力さえも出せなくなってしまうというのは、『魔女の宅急便』の主人公・キキが魔法の力を失ってしまうこともほうふつとさせます。
『魔女の宅急便』はファンタジーでありながら現実にある仕事や夢についての物語になっていましたが、『パリに咲くエトワール』はよりリアルに夢の挫折や希望を描いた作品といえるでしょう。
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