ヒナタカの雑食系映画論 第129回

『塔の上のラプンツェル』悪役のゴーテルに「愛」はあったのか。5つのポイントから考察

『塔の上のラプンツェル』でよく議論されるのは、悪役のゴーテルの解釈です。彼女にはラプンツェルへの愛があったのか? 5つのポイントから考察しましょう。(※サムネイル画像出典:ディズニー公式X @disneyjpより)

3:ゴーテルのあまりに支配的な言動

ゴーテルの言動は支配的です。その1つがラプンツェルの罪悪感を利用していること。「もうやだ、私が悪者ってわけね」といった物言いからして、問題をラプンツェルに帰結させようとする、本質的に「私は悪くないわよ」と訴えるような、とても卑怯なものに思えます。

さらに、ゴーテルはラプンツェルを「赤ちゃん」のように扱っているところもあります。吹き替え版では表現されていませんでしたが、ゴーテルがラプンツェルに「I wuv you」と歌ってもいました。「Wuv you」とは「Love you」の舌ったらずな言い方で、「大好きでちゅ」的な“赤ちゃん語”の表現。ゴーテルにとっては、ラプンツェルが成長しない、何も知らない子どものままの方が都合がいいのでしょう。

一方で、ゴーテルは「じゃあなぜこんなに(髪の毛で部屋まで持ち上げる)時間がかかるの?」と言いつつ、ラプンツェルの鼻をツンツンと触る場面もありました。ゴーテルがラプンツェルの成長を望むのは、「自分のためになることだけ」なのだという、エゴイズムをそこはかとなく感じさせます。

その支配的な感情が最も表れているのは、「母は何でも知っている(Mother knows best)」と歌っていることです。この「知っていること」とは、ラプンツェルにとってはさんざん忠告を受けていた「外が危ないこと」や「塔が安全」なのかもしれませんが、本当は「お前が知らないこと(例えばラプンツェルがお姫様であること)も私は知っているんだ」ということをも、暗に示していたのかもしれないのです。

※以下、小説『ディズニー みんなが知らない塔の上のラプンツェル ゴーテル ママはいちばんの味方』の内容の一部に触れています。

4:「外伝」小説で示された過去と心理も

公式の「外伝」小説に『ディズニー みんなが知らない塔の上のラプンツェル ゴーテル ママはいちばんの味方』(講談社KK文庫)があります。

本編や後述するテレビシリーズとの矛盾もいくつかあるため、本書をゴーテルの絶対的な解釈とするには抵抗もあるのですが、ゴーテルの過去と、ラプンツェルがさらわれてから18歳になるまでにあったこと、さらには本編の物語の別視点など、それぞれの深掘りが面白い内容となっていました。

特にゴーテルの幼少期の描写は、ふりがなが振られた児童向けの作品とは思えないほどに、かなりハードでダークです。あまりに支配的かつ身勝手なひどい母親を持ち、さらには好きだった2人の姉たちを生き返らせようと決意する過程がかわいそうな反面で、彼女の心理がゆがんでいくことがはっきりと示されているのです。

特に衝撃的なのは、ゴーテルが「ラプンツェルの父親の兵隊たちが、私の王国をめちゃめちゃにした」ことを建前に、「もし私の母が生きていたら、この子の父親の王国を破壊していたに違いない。私はこの子をさらうだけでがまんした。ありがたいと思ってもらわなくちゃ」と、自己正当化がはなはだしい理屈を話す場面でした。

さらには、ゴーテルにとってラプンツェルは自身の「財産」の1つであり「手段」でもあること、もともとラプンツェルを「人間とは思っていない」ことさえもはっきりと描かれています

本編とは違い、魔法の花の力が必要だったのは、ゴーテル自身が永遠の若さを保つだけでなく、好きな2人の姉を生きらせるためでもあった、という解釈が付け加えられていることもあって、ゴーテルのエゴイズム(あるいはラプンツェルにはなかった2人の姉への愛)がより切なくなる内容でもあったのです。

※以下より、『ラプンツェル ザ・シリーズ シーズン3/さらなる力』の第1話のネタバレに触れています。ご注意ください。

5:ゴーテルの本当の娘とは

Disney+(ディズニープラス)では『ラプンツェル ザ・シリーズ』という映画の「その後」を描くアニメが配信されています。

こちらは映画本編にはいない、「カサンドラ」というキャラクターがとても魅力的な作品で、お姫様(ラプンツェル)の侍女にして親友という立ち位置から実写映画版『アラジン』の「ダリア」を連想する人も多いでしょう。

【関連記事】実写映画『アラジン』、アニメ版とはどう違う?作品をさらに魅力的にした「改変ポイント」5つを徹底解説

そんなカサンドラの衝撃的な過去が明かされたのは、シーズン3の第1話。ゴーテルの本当の娘がカサンドラであることが明らかとなり、それを知ったラプンツェルはカサンドラに、同じ母親に育てられたことから、侍女や親友を超えて「姉妹のようなもの」とも告げるのです。

その過去では、カサンドラがお城へ向かうゴーテルについていこうとするのですが、「いいえだめよ、あなたのお家はここよ」「そうやってふくれないで、本当に悪い子ね」と返されます。やはり、優しい言い方をしているようで、問題を子どもに転嫁しているようないやらしさを感じさせます。さらに、ゴーテルはカサンドラのお願いを素直に聞いてオルゴールを回してあげるのですが、そのオルゴールを渡す時に一瞬だけイヤそうな顔をするのです。

ゴーテルは本当の娘でさえもあっさりと捨てたというだけでなく、さらった子どものラプンツェルにも同じように接していたと分かります。その後にラプンツェルとカサンドラがどうなるのかは秘密にしておきますが、それぞれの心理もまた切なく苦しいものがあることは告げておきましょう。

まとめ:愛とはその人の認識次第なのかもしれない

ゴーテルというキャラクターからは、そもそも愛とは何であるのかという、根源的な問いも投げ掛けられているようにさえ思えます。

例えば、その人を利用しているだけの行動であっても、それを愛と信じれば愛になるし、利用されていると思えば利用されているだけになるのではないか、といったように……この映画を見ている観客およびラプンツェルという「受け手」側の認識次第なのではないか、とも考えられるのです。

もちろん、いかなる理由があろうとも他人の子どもを誘拐して幽閉して育てている時点で、やはりそれは愛などではない、というのは正論中の正論です。

その上で、もちろんゴーテルにはラプンツェルへの愛があった、という解釈ももちろんできます。原語のゴーテルの声優を務めたドナ・マーフィーもまた、「初めこそ私利私欲のためであったとしても、ゴーテルにはラプンツェルへのある種の愛が育まれている」といった分析をしており、そちらに同意できる人もいるでしょう。

ぜひそれぞれの解釈で、さらに『塔の上のラプンツェル』の物語を楽しんでみてください。

この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「CINEMAS+」「女子SPA!」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。
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