日付は「食欲の秋」である10月、末広がりで縁起のいい「八」にちなんで8日、「いと(10)おいしいよう(8)かん」にもかけて制定されました。
今回は、なぜ「羊羹」と書くのか、ようかんとういろうの違いなど、ようかんの豆知識をご紹介します。
どうして「羊羹」と書くのか?
羊羹は、「羊」がそのまま動物の羊、「羹(あつもの)」が熱い汁物の意味で、元々は中国の料理で羊の肉を使ったスープのことを指していました。鎌倉から室町時代にかけて、中国に留学した禅僧によって点心として日本に普及しました。当時の禅僧は肉食が禁じられていたため、小豆と粉類などを混ぜて蒸し固めたものを羊肉の代わりにしたそうです。これが現在の和菓子の「蒸ようかん」の原型とされています。
1658年に寒天が発見されて以降は「煉(れん)ようかん」も作られるようになり、食感や日持ちのよさから、ようかんの主流になっていきました。
「ようかん」と「ういろう」の違い
どちらも見た目が似ている和菓子ですが、大きな違いは原材料。ようかんが小豆と寒天を使うのに対して、ういろうは米粉やわらび粉を使います。また、そもそもの成り立ちも異なり、ういろうは「外郎(ういろう)家のお菓子」が転じたものです。
元朝時代の「礼部員外郎(れいぶいんがいろう)」という役職だった陳延祐(ちんえんゆう)が、博多に亡命した際に、役職を家名にし、かつ読み方を変えて陳外郎(ちんういろう)と名乗りました。
医師でもあった陳外郎が、大陸から持ち込んだ咳や痰に効く家伝薬「透頂香(とうちんこう)」が評判になり、呼びづらいため家名からとって「ういろう」と呼ばれるようになったそうです。
外郎家の2代目である大年が朝廷に外交役として仕えた際、大陸から来た外国使節団の接待で自ら考案したお菓子を提供しました。
貴族の栄養薬として仕入れていた黒砂糖を米粉と練って蒸したこのお菓子が評判となり、こちらも家名で呼ばれるようになりました。
これが現在の和菓子の「ういろう」の原型とされています。
芋ようかんは元々「ようかんの代わり」だった
芋ようかんは、サツマイモを蒸して練り上げ成型させたもの。明治時代、高級品だった練りようかんの代わりとして、浅草の芋問屋と和菓子職人によって考案されました。
身近な食材であるサツマイモを使い、調理法や調味料の配合などの試行錯誤を繰り返して生み出したとされています。
練ようかんより安く買うことができた芋ようかんは、庶民の身近な和菓子として歓迎されました。
食欲の秋にぴったりなようかん。由来を知ると、さらにおいしく楽しめそうですね。
この記事の筆者:石川 カズキ
1984年沖縄県生まれ。筑波大学人間学類卒業後、会社員を経て芸人・作家・コピーライターに。エレキコミック・ラーメンズを輩出した芸能事務所トゥインクル・コーポレーション所属。第60回宣伝会議賞コピーゴールド受賞、LOFT公式YouTubeチャンネル「コントするイシカワくん」シリーズのコント台本・出演、KNBラジオCMコンテスト2020・2023協賛社賞受賞など。お仕事があればお気軽にご連絡ください。AIから仕事を奪うのが目標です。