「警察ですが」毒母の突然死。そして私は、祖母を捨てた

突然知らされた母の死。虐待を受けて育った娘の私には、逃げ出したくなるような現実が待っていました。(サムネイル画像出典:筆者撮影)

込み上げる祖母と親戚への憎悪

べーーぷ
片付け中、キッチンの床下収納から出てきたベープ。「何でこんなところにあんねん……」

放心状態の私に代わり、夫が手早く必要な物をまとめて、車に乗せる。そしてステント抜去のため、致し方なく母の家を後にして、2時間半をかけてまた自宅に戻ることに。日付を跨いだ午前0時30分ごろ、祖母も弟と妹を連れ、母の家に着いたと連絡がありました。翌日の午前中、病院でステントを抜いてもらい、死体検案書を受け取るため母の遺体を担当した医師の元を経由して母の家へ。その道中、葬儀屋から母の遺体は損傷が激しく、自宅へ安置することができないこと、火葬は最短で3日後になると連絡を受けました。警察が介入しているため、昨日の時点で私も母の遺体といまだ対面できていないので、どの程度の損傷かが正直、分かりません。
 

祖母へ「葬儀場に寄って母と対面してから、きょうだいと大阪へ帰る。もしくは、きれいな思い出のまま帰る。どちらかを選んで」と電話で状況を説明しましたが、答えは「あんたどこにおるん?」「こっちはずっと待ってんねんけど?」という悪態だけ。結局、あれだけ「娘がかわいい」と普段から言っていたのに、祖母は母との対面もせず、斎場に足を運ぶことすらせず、大阪へ帰ると私に言いました。
 

母の家に着くと祖母の妹が「悪いけど、うちらがここで食べたゴミだけ片付けて」と、分別すらしていないゴミ袋を差し出しました。なんで酒の缶がこんなにあるのだろう。この人たちは、一体何をしに来たのだろうか。頭の中に「?」がたくさん浮かんでいると、続けて祖母の妹は「あんたらのこと思って、家の物は“一切”触ってへんからね。片付け方は分かってるけど、下手に触られても困るでしょ?」と言い、物であふれ返った家の惨状について祖母は「あんたらがしたんやろ」と。「この人たち、ほんまに何?」「気持ち悪い」親族ながら、込み上げる吐き気を必死に飲み込みました。同時に、この家にはよく切れる包丁がなくて良かったと、心から思いました。
 

桐
片付け中の2階の一室。大量の衣類は40リットルのゴミ袋を50袋は優に超えた。桐たんすの扉の内側に映る自分の顔は、怒りの感情に支配された醜い老婆のようだった

その日の夕方、ようやく母の遺体と対面。少女のような顔をして眠っている母を見て、「悪いね。撮らせてもらうわ」と母の遺体を写真に収めました。間違いなく、この先どこかで祖母から「あんたのせいで、会わせてもらえなかった」と言われることが、分かっていたので。母が死んで4日目。大阪に戻った祖母から連絡が。用件は「あの子の化粧ボックスとその中身、こっちに送って」と。この瞬間、絶対家の中の物を持ち出しているという疑惑が確信に変わり、「あの家から持ち帰ったものはないのよね?」と聞くと、「2階にあったワニ皮のバッグしか持ってきてないけど?」と返してきました。あろうことか、祖母は自分の娘が死んだというにもかかわらず、足が痛くて1人でろくに歩けないというのに、わざわざ2階に上がって部屋中を物色し、欲しい物をトランクケースに詰めて私たち夫婦が来る前に配送業者を呼び、トランクケースごと大阪へ送っていたのです。
 

全身の血がぞわぞわとうごめくような感覚。この人の血が流れている、その事実に震える声でいろんな感情をかみ砕きながら、「悪いけど、葬儀のこととかで忙しいから、2~3週間は連絡できんから。そっちはそっちで頑張って。こっちも頑張るよって」と早口で言って電話を切り、トイレへ駆け込みました。

泥沼から救ってくれた、魔法の言葉「卑怯よ」

その日の夜、尿管結石の記事でも紹介した、おひいさまに電話。親子ほど年が離れているおひいさまはわが家の状況も、よく知っています。ここ数日の出来事をせきを切ったように話す私。書ききれなかったのですが、実際には祖母以外にも母の友達という人たちから、「いつもきれいで美しかった」とか、「もう会えないんて信じられません」など次から次へと連絡が来ており、そう言われるたびに「この1階も2階も足の踏み場がないほど汚い家なのに?」「あなたたちは一体、母の何を知っているというの?」と、どす黒い感情に襲われるだけでなく、やいのやいのと葬儀のことやその後のことまで口まで出され、心も体も疲れ切っていたんです。
 

話を終えた私に、おひいさまは「よう耐えた。よう頑張った。偉い、偉いよ」と何度も声をかけた後、「お母さま、卑怯よ。娘にこんなつらい思いさせて。……卑怯よ」と言ったのです。皆が母のことを良く言う中で、たった1人、おひいさまだけが私の立場で考えてくれました。「卑怯」というこの2文字が、この後、どれほど私を救ったかしれない。この言葉を聞いて、私は母の死後、初めて涙が静かに頬を伝いました。
 

虐待を親から受けている人は、親を憎む気持ちがある一方で、認められたい・愛されたいという思いを抱く人もいると思います。少なくとも、私はそうでした。でも、それがかなわないと知っていたから、私は自分で母親のように甘えられる人を必死に探したんです。それが、おひいさまでした。読者の中に、私と同じような経験をされている人がいれば、できるだけ年上の、できれば同性で尊敬できる人を1人でも多く探してほしいです。
 

あくまで私の経験ですが、今回のおひいさまの「卑怯」という言葉は、母の死後数日間と、この後、直面した数々の目を覆いたくなる事実から向き合える勇気を与えてくれました。もちろん、それで何もかも楽になる、なんてことは言わないし、言えません。ただ、その人は私のように行き場のない感情や、つらさを受け止めて導いてくれる存在になり得るかもしれません。もし、そんな人がいないという人は、ぜひ、そういう存在を探し出してください。「もう、いるよ」という人は、そのご縁をどうぞ末永く、大切に。月に1度はその人に電話をして、近況報告などをしてみてください。
 

電話を切る間際、おひいさまはこうも言いました。「おばあちゃまとは、縁を切りなさい」と。ここまで読めばその言葉は至極当然と思われるでしょうが、祖母は幼少期に私を育ててくれました。その恩や思い出もあり、私はまだその決心がつかなかったのです。「そうやね」と、あいまいな返事をして、電話を切りました。

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