「警察ですが」毒母の突然死。そして私は、祖母を捨てた

突然知らされた母の死。虐待を受けて育った娘の私には、逃げ出したくなるような現実が待っていました。(サムネイル画像出典:筆者撮影)

この話は、実母が亡くなった翌日から四十九日が明けるまでの話です。虐待を受けた子どもが親を亡くしたとき、どんな思いを抱えて遺された“もの”と向き合うか。自身の心の整理のため、そして、同じような境遇の人たちにとって、何かしらの救いとなるヒントとなればと、筆を執りました。

「お母さまが亡くなりました」

トイレ
撮影は全て筆者(以下同)。6月で止まったままのカレンダー

6月某日、尿管結石の治療で体内に入れたステントの放散痛に耐えられず、仕事を休み布団に包まっていました。午前11時ごろ、見慣れた市外局番から1本の電話が。「石井さんの携帯電話でしょうか? ○○警察ですが、お母さまが亡くなりました」と話す電話の主。いろんな思いが一瞬で交錯し、動悸が止まりませんでした。最後に母と会ったのがいつだったのか。もう、よく覚えていません。自宅のトイレ付近で母が倒れているのを近所の人が発見してくれ、警察から連絡を受けたときは死後1日が経過。死体検案書には「心臓死疑い」とだけ書かれていました。66歳でした。
 

母は私を虐待し、祖母は母を虐待していました。そうした経緯もあり、疎遠だった母と私ですが、祖母はまだ、健在。しかもテレビで見る老害よりモンスターな有様で、これから先を思うと言い表せない不安が胸いっぱいに広がるのでした。

母も私も、“連れ子”だった過去

小学3年生のとき、母が養父と再婚をしてそれまで同居していた祖父母と離れ、関東で養父・母・私の3人暮らしが始まりました。養父の機嫌を伺いながら言いたいことも言えない母の“女”である姿を目の当たりにし、子どもながらに「自分がいつか結婚したら、子どもがいる状況で再婚はしない」と固く心に誓ったことを、今でも鮮明に覚えています。気に入らないことがある度、母の右手は私の頬に飛んでくる。「私もこうされてきたんだから!」それが母の口癖で、「とにかくこの家を出たい」「自分の家族を持ちたい」という思いをずっと抱いていました。
 

話は戻って警察から電話を受けた私は、大阪で1人暮らしの祖母へ連絡を。すると、1人でろくに歩けない祖母が、「今から(母の自宅へ)行く」と言うのです。「母の自宅」といっても、私が大学生から社会人1年目まで住んでいた家。そこに手癖の悪いきょうだいを連れて来ると……。「あの子(母)に預けている金がある。それをきょうだいと一緒に探す」とわけの分からないことを言い出し、「あの人たちがまた、何をするか分からないじゃない」と断ると、「あんた、狂ってるんちゃうん? 狂ってるわ」と言いながら一方的に電話を切る。いつも、こうです。正論を言われたら激高して一方的に話を打ち切る、そういう人なんです。それは母も同じでした。
 

その日の午後、出勤していた夫に急ぎ帰宅してもらい、母が安置されている警察署へ一緒に向かうことに。とにかく、祖母が来る前に、母の自宅から通帳や貴重品を回収しなければ、ものすごく面倒なことになる。夫に運転を任せ、私は車中で司法書士と葬儀屋を探し、警察署で母の貴重品を受け取るとすぐに、母の家へ。もともと花が好きな人でしたが、最近はガーデニングが趣味だった様子。玄関前や庭は、とてもきれいに鉢植えが並べられ、花の名前が書いたプレートも添えられていました。

片付け
片付け始めて1週間後のリビング。幸い、生ゴミ系はほぼなかった

しかし、玄関を開けると……「何だこれ」思わず、私はそう口にしたのです。一体、何人で住んでいたの? というほど脱ぎ散らかした着物や洋服。テーブルの上は「発注書」と書かれた用紙が床までなだれ落ち、足の踏み場がない。程なく、母が買い物依存症に陥っていたことを、理解しました。

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遺体を見ずに帰阪した祖母、その蛮行に言葉を失う
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