ヒナタカの雑食系映画論 第99回

映画『あんのこと』はどこまでが実話なのか。河合優実、佐藤二朗、稲垣吾郎が役を演じ切る「説得力」

映画『あんのこと』は「実話を基にしたフィクション」。どこまでが実話で、どこまでが創作だったのか。河合優実、佐藤二朗、稲垣吾郎を称賛するとともに、劇映画にした意図を解説します。(C) 2023『あんのこと』製作委員会


※以下からは、映画『あんのこと』の本編の結末を含むネタバレに触れています。

信頼していたベテラン刑事が性加害者だった

劇中で語られ、また実際に起こったショッキングな出来事の1つ目は「ベテラン刑事が性加害者であったと報道される」ことです。その記事を見せられた主人公は言葉を失い、シェルターマンションの部屋に駆け戻ります。

その心中は察するに余りありますし、この映画を見ていた観客も「主人公も一歩間違えば性被害にあっていたのかもしれない」「親身に接していたのもそれが目的だったのかもしれない」「肩を寄せていたのも善意だけではなかったかもしれない」などと想像もした上で、よりショッキングに思えるでしょう。
あんのこと
(C) 2023『あんのこと』製作委員会
入江悠監督は後述する内容の新聞記事を基にプロットを少しずつ考え始めた後、2020年10月に実在の女性の更生に尽力していたはずの元刑事が、別の相談者への性加害容疑で逮捕された報道を知って、がく然としていたそうです。

しかし、入江監督は企画を諦めたりはせず、より本格的なリサーチに着手し、彼女を知る関係者にインタビューを重ねて、迷いながらも主人公の人物像を自分なりに掘り下げていったそうです。
あんのこと
(C) 2023『あんのこと』製作委員会
その覚悟と決意は、入江監督の以下の言葉にも表れています。少し長めですが引用しておきましょう。

「もちろん多々羅(佐藤二朗演じるベテラン刑事)がした行為は、絶対に許されない。現実社会では法的に罰せられる行為です。でも物語の中で、彼に何らかのジャッジを下す描き方はしませんでした。それは、本作では杏という女性にどこまでも寄り添って歩こうと最初に決めたからです。少なくとも彼女にとって、多々羅は自分を暗闇から引っ張り出して、別の道を示してくれた存在だった。その魅力、温かみがスクリーンからにじむのは、むしろ自然なことだろうと」

「ただ、それとは別に多々維というキャラクターが、時代の変化をそのまま映した側面はあるかもしれません。これが昔なら、薬物更生者に尽力する刑事という美談の方ばかりクローズアップされ、ハラスメントは告発されなかったかもしれない。でも今では、『彼はいいこともしていた』という言い訳は許されない。『あんのこと』では、2020年に起きていたことと自分なりにちゃんと向き合いたかったので、多々羅もある意味、その一断面なのかもしれません」

近年では世界的に性加害問題が大きく扱われるようになり、いかに大きな功績があろうとも、その罪の大きさを深く追求するような社会には近づいてきています。この映画では主人公にとっては道を示してくれた温かい存在であることを示しつつ、性加害者を美談めいた扱いにもしない、そのアプローチとバランスも誠実なものだったと思います。

未来に向けて歩み出したのに、自殺をしてしまった

そして、もう1つのショッキングな出来事は……劇中の主人公が最後に自殺をしてしまうこと。実際に、國實瑞惠プロデューサーは「コロナ禍で居場所を失い、絶望して命を断った若い女性の横顔がつづられた1本の記事」を目にして衝撃を受けたそうです。
あんのこと
(C) 2023『あんのこと』製作委員会
さらに國實プロデューサーは、別の記事でも同じ女性の「幼い頃から母親のひどいDVを受け、小学校も満足に卒業できず、10代に入ると家計のために売春を強いられて、14歳のときに覚醒剤を使っていた」「取り調べの担当刑事さんに誘われ、薬物経験者が語り合う会に参加して、介護士になるという目標もでき、実際に働きながら小学校の勉強をやり直すようになった」といった事実を読んでいたそう。

このことを受けて國實プロデューサーは「せっかく未来に向けて歩きだしたハナさん(前述の女性)の命を、私たちの社会は守れなかったのかと思うと、何ともやりきれない気持ちになりました」と吐露。入江監督も、コロナ禍で2人の友人を亡くし、人と人が断たれる脆さを痛感しており、その思いに共鳴していたのだとか。

そして、現実でもそうだったように、この映画『あんのこと』の主人公もまた自殺をしてしまいます。彼女の未来や幸福を願っていた観客にとっては特にショッキングに映るでしょうが、それもまた現実の物語に向き合う作り手にとっては避けて描けないことだったのでしょう。
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完全にフィクションだったこと、それは……
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