ヒナタカの雑食系映画論 第99回

映画『あんのこと』はどこまでが実話なのか。河合優実、佐藤二朗、稲垣吾郎が役を演じ切る「説得力」

映画『あんのこと』は「実話を基にしたフィクション」。どこまでが実話で、どこまでが創作だったのか。河合優実、佐藤二朗、稲垣吾郎を称賛するとともに、劇映画にした意図を解説します。(C) 2023『あんのこと』製作委員会

主人公が「子どもの面倒を見ていた」ことを“創作”した理由

「更生に尽力していたはずの元刑事が、別の相談者への性加害容疑で逮捕された」「未来に向けて歩き出していた女性が、道半ばで自殺をしてしまった」ことは現実の出来事ですが、一方で完全にフィクションだったことがあります。それは、主人公が「隣の部屋の子どもを勝手に押し付けられ面倒を見ていた」ことです。
あんのこと
(C) 2023『あんのこと』製作委員会
新型コロナウイルスの感染者数が急増する最中、早見あかり演じる女性は、早朝にいきなり主人公のもとにやってきて「ごめん! ちょっと子ども預かってくれない!? 男とトラブっちゃって」とまくしたてます。その子どもはまだオムツが取れておらず、言葉もほとんど話せず、もちろん主人公は戸惑うばかりなのですが、それでも必死で世話をするうちに打ち解けてきて、その子どもの好きなメニューや嫌いな食材を手帳に書き込み、2人には笑顔も生まれるようにもなっていきます。

現実にはなかった展開をあえて入れた理由について、入江監督は以下のように語っています。

「虐待って、世代間で連鎖していく場合もあると専門家の方が指摘されています。DVを受けて育った人が、自分の子どもにも同じ ことをしてしまう。でも杏ならば、その負の循環を断ち切れたんじゃないかなと。あくまでわたし個人の希望ですが、そこを描いてみたかったんです」

あんのこと
(C) 2023『あんのこと』製作委員会
また、本作は薬物依存者の社会復帰を支援するNPOにも監修を依頼しており、自身も依存症を経験されたスタッフが口をそろえて「支援の活動を続けることで実は自身も救われている」と語っていたそうです。入江監督はそれを受けて「同じことは、杏にも言えた気がします。誰かが彼女を救うんじゃなくて、彼女が誰かに手を差し伸べるシチュエーションがあれば、全く違う未来があり得たかもしれない」と、フィクションの設定を入れた意図を告げていました。

この通り、「虐待の負の連鎖を断ち切る」「救おうとすることで救われる」ことを、一連のシーンからは大いに感じられます。だからこそ、その後の絶望的な事態を経て、主人公がそれでも自殺を選んでしまうことに、より胸が締め付けられました。

でも、だからこそ、より当事者に近い気持ちでこの物語を見届けたことには意義がありますし、彼女が子どもを救った事実は残り続けますし、「自分にできることはあるかもしれない」とも思えるのではないでしょうか。

入江監督の優しさが表れた集大成に

入江監督は、主演の河合優実と「この子をかわいそうな存在と考えるのはやめよう」と話し合っていたとのことです。その意図は「彼女は1人の人間として、自分の人生を懸命に生きていた」「河合優実さんという俳優の肉体を借りて、モデルとなった女性が向き合っていた世界を、(スタッフやキャストの)皆で一緒に再発見していきたかった」とのことです。
あんのこと
(C) 2023『あんのこと』製作委員会
実際の入江監督の演出も入念で、例えば、主人公と子どもが初めて会うシーンは、保護者立ち会いのもと、実際そこで 2人を初めて対面させて、人見知りで大泣きする表情を一発で収めていたそう。さらに、食事やお昼寝など、とにかく子どもの生活リズムに合わせたシフトを考案し、それに合わせて劇中の同じシチュエーションを撮影したのだとか。主人公が子どもと少しずつ心を通わせ、その世話に生きがいを見いだしていく心理描写は、ある意味で「本物」なのです。

また、入江監督にとって、実際の事件に基づく脚本作りは今回が初めてだったこともあり、執筆中は常に「自分にその資格があるのか」という問いとも向き合い「自分がゼロから考案したストーリーやキャラクターと違って、実際にあった事件には究極的には責任をとれない。その怖さをずっと感じていました」「だからこそ『社会的弱者』というような先入観は捨て、彼女が過ごした時間を感じたいと思ったんです」と、尋常ではない葛藤も語っています。

入江監督は『SR サイタマノラッパー』や『ビジランテ』など、ほぼ一貫して閉塞的な日常を過ごす人たちに優しく寄り添う(時に容赦なく辛らつに描く)映画を手掛けてきました。その作家としての覚悟が表れた、その集大成ともいえるのが、今回の『あんのこと』なのだと、本人の言葉はもちろん、出来上がった作品から強く思うことができました。

さらに、ここではあえて伏せておいたラストシーンは、見た人と語り合う意義のあるものになっています。本作が、さらに多くの人に届くことを願っています。

※各インタビュー内容はプレス資料より引用

この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「CINEMAS+」「女子SPA!」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。
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