そして、重要なのは本作が実話(実際の事件)を基にしたフィクションであること。後述するセンシティブな「本当にあったこと」を劇映画にする、その作り手の意思と覚悟も、ぜひ知ってほしいのです。
「覚醒剤使用の描写がみられる」という理由でPG12指定がされており、それ以外でもショッキングで苦しくつらい場面がありますが、それは間違いなく作品には必要なものでした。
さらなる特徴と魅力を記していきましょう。なお、警告を記した後、記事の2ページからネタバレを含む内容となっていますので、ご注意ください。
希望のない女性が新たな道へ進む物語
主人公の女性・杏(あん)は、ひたすらに希望のない日々を送っていました。子どもの頃から酔った母親に殴られて育てられ、小学4年生で不登校となり漢字も満足に読めず、母親の紹介で体を売ったのは12歳の時でした。そして、20歳になった2018年の秋、ベテラン刑事から薬物更生者の自助グループへと招かれ、さらには週刊誌の記者と出会ったことをきっかけに、少しずつ新たな道へと進みます。 序盤で描かれるのは「更生への道筋」です。ベテラン刑事は生活保護の申請に立ち会い、ジャーナリストは取材先の職場である特別養護老人ホームを紹介してくれます。
介護の仕事をなんとか始めて、虐待をしていた母親の家から出てシェルターマンション(DVやストーカー被害にあった女性が一時避難する場所)に住むようになり、秋からは夜間中学にも通い始めます。 絶望的な日々から抜け出し、人生が少しずつ良い方向へと進む、まるで「歯車」がかみ合う様から、心から彼女の幸福を望みたくなるでしょう。
河合優実、佐藤二朗、稲垣吾郎という俳優それぞれの個性
その物語に説得力を与えているのは、俳優それぞれの力です。河合優実、佐藤二朗、稲垣吾郎という、人気も実力もある3人の掛け合いは、劇中の物語と重なって、よりかけがえのないものに見えてくるのです。河合優実は4月より放送されたテレビドラマ『RoOT / ルート』(テレビ東京系)でも主演を務め、さらに6月28日公開のアニメ映画『ルックバック』では主人公の声も担当するなど、活躍の場を広げています。今回の『あんのこと』の序盤は、ただ流されるまま絶望の日々を生きていたのだと本当に思えるほど、「生気がない」印象さえも覚えるのですが、その後は戸惑いながらも徐々に希望をつかみ取ろうとしている、いや必死に道を見つけようとする意思が、その表情や一挙一動から感じられるでしょう。 佐藤二朗はバイタリティと親しみやすさがある一方で、乱暴さもあるベテラン刑事を演じ切っています。特に「『クスリを抜くにはこれが1番』と称して、取調室でいきなりヨガを始める」シーンはすっとんきょうで怖くもあるのですが、それくらいに彼が「本気」であることも伝わるでしょう。多くの作品でギャグキャラクターを演じながら、時に狂気を感じさせる役も上手に演じ切る佐藤二朗にとっての最大級のハマり役でした。 そして、稲垣吾郎が演じるのは、この映画を見る観客に極めて近い立場で、入江悠監督が言うところの「観察者」のようなジャーナリストです。もちろん主人公の未来を心から案じてサポートをしているものの、どこか距離も感じさせる、本人もどこか「居心地の悪さ」を感じていることが、稲垣吾郎の(無表情に近いけれど)けげんそうな表情から伝わってくるでしょう。生真面目でありつつ、時にはどこか狂気的な一面もあり、浮世離れした印象を持つ稲垣吾郎に実にマッチした役柄でした。 そんな年齢も立場も性別も違う3者のやりとりは「ずっと見ていられる」ほどに尊いものに見える一方で……そこはかとなく「不穏さ」も見えてきて、やがて残酷な世界をはっきりと映し出すことにもなります。
ここからは、劇中で語られる、そして現実に実際に起こった2つのショッキングな出来事、そしてフィクションであった描写についてを、本編のネタバレありで記していきましょう。
予備知識なく映画を見たい人はここでストップしてください。しかし、映画を未見の人でも、ショッキングな出来事を知った上で見たいという人は、その「覚悟」を決めるためにも、ぜひ読んでほしいと願います。