新横浜ラーメン博物館(以下、ラー博)で、2022年7月1日からスタートした「あの銘店をもう一度」プロジェクト。2024年3月のラー博開館30周年を記念し、過去に出店したことのある約40店舗の銘店がリレー形式で出店してきました。ついにフィナーレを迎えます。
ラストを飾るのは、「あの銘店をもう一度"94年組"」第7弾となる横浜「六角家1994+」。2024年4月8日から出店し、そのままレギュラー店となります。21年ぶりにラー博に地元・横浜の家系ラーメンが復活します(画像は全て提供)。
横浜「六角家」の歴史について
「六角家」は、かつて「吉村家」「本牧家」と並び、家系(いえけい)御三家の1つとして名をはせたラーメン店。
創業者・神藤 隆(じんどう たかし)さんは、サラリーマンや洋食店を経て、「自分の店を持つなら好きなラーメン店を」という思いから、家系ラーメンのルーツである吉村家に弟子入りします。吉村家の2号店である「本牧家」で店長を務め、合計7年間修業した後、1988年、「六角家」をオープン。近くに六角橋商店街があったことから店名にしたそうです。
その後、1994年のラー博のオープニングメンバーとして出店することに。2003年5月31日に新横浜ラーメン博物館を卒業します。
その後は店舗を増やし、多い時には全国に10店舗ほど展開していました。残念ながら神藤さんは体調を崩し、2017年10月末に本店は閉店。2020年に破産手続きをとりました。そして2022年10月5日、逝去されました。
現在は、神藤隆さんの弟である神藤 誠さんが別経営で戸塚「六角家」を運営し、六角家の歴史を繋いでいます。
浜松「蔵前家」の店主がラー博で「六角家」の味を復活
「あの銘店をもう一度」プロジェクトの企画が立ち上がった2021年、新横浜ラーメン博物館の岩岡洋志館長は神藤さんに「この企画で、もういちど六角家をラー博に復活させましょう!」と相談します。しかし、神藤さんは体調を崩していたこともあり、「いろいろと迷惑をかけたし、俺はできないが弟子がやる形でならば」ということに。
協議を重ねた結果、白羽の矢が立ったのが静岡県浜松市にある浜松「蔵前家」の袴田祐司(はかまだ ゆうじ)さんでした。「努力とセンスが際立った弟子で、わずか5年弱で独立を認めた優秀な弟子」と、神藤さんから高い評価を受けていました。
袴田さんの実家は、静岡県浜松市で老舗浜松餃子店「紀楽」を営んでいましたが、「もっとおいしいラーメンを出したい」と訪れたラー博で「六角家」に出会います。「急募」と書かれた求人情報に応募し、1996年3月に弟子入り。本店からスタートし、ラー博店でも働いていたそうです。厳しいと評判の六角家の修行を経て、2001年7月に東京都台東区蔵前に「蔵前家」をオープン。2009年4月に浜松に移転し、現在に至ります。
今回のプロジェクトは、袴田さんと六角家戸塚店の神藤 誠さん、露木あゆみさん(神藤さんの姪)にも協力・賛同を得てスタートしました。