1890年のこの日、東京と横浜の間で日本初の電話が開通しました。今回は、日本最初の電話料金はいくらだったかなど、「違いの分かる人」になれる電話開業の豆知識をご紹介します。
日本最初の電話料金はいくらだった?
1890年に東京横浜間で開通した日本最初の電話サービスですが、加入数は東京が155世帯、横浜は42世帯とわずか197世帯。気になる電話代は、月額制で40円でした。格安のように感じますが、当時の物価を現在に換算すると40円は約15万円。現代で月15万円のサブスクがあったら相当ですよね……! とても庶民には手の届かないものでした。
ちなみは栄えある電話番号1番は、東京府庁(現在の都庁)。その他、のちの内閣総理大臣である大隈重信や、新1万円札の顔にも決定した渋沢栄一らも加入していました。
最初の電話機にはボタンもダイヤルもなかった
当時の電話機には、ボタンやダイヤルはなく、代わりにハンドルがついていました。このハンドルを回すことで発電して、電話局の「交換手」を呼び出し、相手の電話番号を伝えて、手動で電話線をつないでもらう形式です。
交換手の仕事は、海外から輸入された最先端の職業であり、対応の柔らかさから女性が多く登用されましたが、数カ月の訓練を受けて難しい試験に通った人だけが就ける狭き門。
そのため、当時の女性にとっては憧れの花形職業の1つとされていました。
開通した電話にお供え物をして祝う山村もあった
公衆電話が設置されるようになった1900年ごろから、庶民にも身近な存在になっていきました。NHKの公式Webサイトでは、1959年に電話が開通した群馬や長野の山村の映像を見ることができます。電話にお供え物を捧げて祝詞を上げて祝ったり、「祝電話開通」の横断幕のもとに大勢の村人が集まって酒盛りをしたりと、電話開通がいかに大きな行事だったかが分かります。
「人間は1人では生きられません。電話はお互いの意思と情報を伝え合うパイプラインなのです」というナレーションで映像は締められています。
1人1台が当たり前となり、さらには「メールで済むことを電話しないでほしい」と若者の電話離れも進んでいる現在。この機会に、もう一度電話の存在を見つめ直してみてはいかがでしょうか。
この記事の筆者:石川 カズキ
1984年沖縄県生まれ。筑波大学人間学類卒業後、会社員を経て芸人・作家・コピーライターに。エレキコミック・ラーメンズを輩出した芸能事務所トゥインクル・コーポレーション所属。第60回宣伝会議賞コピーゴールド受賞、LOFT公式YouTubeチャンネル『コントするイシカワくん』シリーズのコント台本・出演、KNBラジオCMコンテスト2020・2023協賛社賞受賞など。お仕事あればお気軽にご連絡ください。AIから仕事を奪うのが目標です。