ドラァグクイーンとはどんな存在? なぜ「ドラァグ」なの? 歴史や意義を“ドラァグクイーン本人”が解説

ドラァグクイーンとはどのような存在であり、社会の中でどのように認識され、バックラッシュの歴史の中で闘ってきたのでしょうか。ドラァグクイーンとしての経験を持つ筆者が、ドラァグクイーンに関する基礎知識や、歴史、意義について詳しく解説します。

自由に、大胆に自己を表現してきたドラァグクイーンたち

ディヴァインは、1970〜1980年代という、ドラァグクイーンがまだまだアンダーグラウンドだった時代に活躍し、全世界にその名を轟かせた伝説のドラァグクイーンです。100キロを超える巨体と、極端におでこを広くして元の眉毛のはるか上に眉毛を描くような大胆なメイクがトレードマーク。『You Think You're a Man』『Shoot Your Shot』など数々のレコードも発表しています。

ゲイの映画監督ジョン・ウォーターズと意気投合し、1968年からジョン・ウォーターズ作品に出演しました。「史上最低の悪趣味映画」として名高い1972年の『ピンク・フラミンゴ』では、「世界で1番下品な人間」の座を争い、強烈な演技を見せ、世紀のカルト・スターに。しかし1988年、ジョン・ウォーターズ初のメジャー作品『ヘアスプレー』に出演した後、ディヴァインは心肥大で急逝しました。

ディヴァインは、ル・ポール的な美しさやゴージャスさとは対局にあるレジェンドです。ディヴァインがいたからこそ、後世のドラァグクイーンたちも、世間的な美の価値観に捉われることなく、自由に、大胆に自己を表現し、時に猥雑だったりまがまがしかったりするような、キャムプでクィアなドラァグを追求することができたのではないでしょうか。
 
1985年から2001年まで、ニューヨークのトンプキンス・スクエアでレディー・バニーが「ウィッグストック」というドラァグクイーンの祭典を開催していました。アメリカのクイーンが参加して日がなショーを繰り広げる、ドラァグへの愛に満ちた、夢のような、素晴らしいフェスでした。

「ウィッグストック」は世界のドラァグクイーンのシーンに影響を与え、日本でも「ウィッグストック」にオマージュを捧げる野外イベントが開催されています(2001年の東京レズビアン&ゲイパレードの前日祭「GLORY」も同様)。
 

テレビ番組やドラマでも活躍

2009年からは、LGBTQのケーブルテレビ局Logoで冠番組『ル・ポールのドラァグ・レース』が始まり、センセーションを巻き起こしました。同番組は2018年、エミー賞リアリティー番組・コンペティション部門の最優秀作品賞に選ばれ、司会賞と作品賞を同時に獲得するという史上初の快挙を成し遂げました。

この番組からどれだけの素晴らしいクイーンたちが巣立っていったか、この番組がどれだけドラァグクイーン(やLGBTQ)に勇気や希望を与えたことか……その功績は計り知れません。ル・ポールはその後も『AJ&クイーン』というヒューマンドラマに主演するなど、さまざまに活躍しています。ル・ポールの「自分を愛せない人がどうやって他者を愛せるっていうの?」という言葉は、セルフエスティーム(自尊感情)が低くなりがちなクィアたちを励まし、鼓舞する名言でした。

さらに、1994年には、ゲイ史上に燦然と輝くドラァグクィーン映画『プリシラ』が製作され、世界的な大ヒットを記録しました(日本公開は1995年)。
  

日本のドラァグクイーンの隆盛

日本では、パフォーマンス集団「ダムタイプ」の古橋悌二さん(ミス・グローリアス)がニューヨークからドラァグクイーンの文化を持ち帰り、シモーヌ深雪さんらとともに1989年に大阪で日本初のドラァグクイーンパーティー「DIAMONDS ARE FOREVER」を開催したのが草分けだとされています。

東京では、マーガレットさんやホッシーさんがクラブに派手な女装で遊びに行くようになったことで流行。1991年、芝浦「GOLD」で始まったゲイナイト「THE PRIVATE PARTY」でドラァグ・ショーが一般化し、「ミス・ユニバース」という華やかな企画も行われました。1999年には、マーガレットさんとホッシーさんがMISIAさんのツアーに同行。メジャーなアーティストのツアーに起用されるのは日本初の快挙となりました。
 
また、1999年、大阪の「バナナホール」で日本初のドラァグクイーン総出演イベント「DIVA JAPAN」が開催され、全国から50人近いクイーンたちが集結し、夢のような一夜を繰り広げました。翌年には新宿のクラブ「CODE」で「DIVA JAPAN TOKYO」が開催されます。2001年には東京レズビアン&ゲイパレード前日祭「GLORY」に、やはり全国から50人近いドラァグクイーンが集結。ウィッグストックのような趣の野外フェスとなりました。

京都では毎年12月30日に、新宿2丁目では毎年大みそかの夜に「女装紅白」というドラァグクイーンが多数出演するイベントの開催が恒例となっており、女性も含め大勢の人でにぎわいます。
 
2000年には、毎晩ドラァグクイーンのショーを見せる「Blue Oyster Lounge」というすてきなラウンジが新宿2丁目に誕生しました。2005年には、ダイニングバー「do with cafe」が大阪にオープンしています。今ではドラァグクイーンに会えるゲイバーなどもたくさんあります。
 
2000年代、ドラァグクイーンは東京や札幌、大阪のパレードの主役となっただけでなく、名古屋の「NLGR」、大阪の「switch」「PLuS+」、東京の「GRATIA」「VOICE」など、HIV予防啓発のさまざまなイベントでも活躍しました。
 

国内のドラァグクイーンの総数は1000人を超える

ドラァグクイーンのオナンさん
画像は東京レインボープライド2018に出演した際のオナンさん

ドラァグクイーンが多数出演するゲイナイトも各地で開催されるようになり、そうしたイベントの隆盛とともに全国各地でドラァグクイーンが生まれ、活躍するようになっていきました。北は北海道から南は沖縄まで、おそらく何百人ものドラァグクイーンが活躍していますし、これまでのドラァグクイーンの総数は1000人を超えると思われます。
 
テレビなどのメディアで活躍している人もいらっしゃいますが、やはりドラァグクイーンの本拠地は新宿2丁目などのクラブパーティーですので、ドラァグクイーンに会いたい人は、ぜひ新宿2丁目においでください。
 
なお、ミュージカル『プリシラ』にも出演し、日本のドラァグクイーンの文化を切り開いてきたオナン・スペルマーメイドさんというドラァグクイーンが9月1日に亡くなりました。筆者は1996年デビューなのですが、その頃にはすでにアーティスティックなショーをやっていらして、敬愛する大先輩でした。心からご冥福をお祈りします。


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