7月26日、AAAの與真司郎さんがファンミーティングでゲイであることをカミングアウトしました。ご本人は緊張している様子でしたが、AAAのメンバー、家族、ロサンゼルスの友人などが見守る中、ファンの皆さんがとても温かく受け入れ、応援し、感動的なイベントになりました。
本記事では、ポップスターによるカミングアウトの変遷をたどり、欧米と日本の状況を比較しながら、與真司郎さんのカミングアウトの意義についてお伝えします。
なお、「ポップスター」の定義は厳格ではありませんが、ここではエルヴィス・プレスリー以降の、ロックやポップスなどメジャーな音楽シーンでポピュラーな(人気のある、大衆的な)存在として認知されるようになったスターというようにしたいと思います。
欧米ポップスターによるカミングアウトの変遷
ポップスターは、歌やダンスでオーディエンスを魅了するアーティストであると同時に、異性のファンに訴求するアイドル的な側面もあり、セクシーな魅力や華やかさも往々にして求められます。ですから、売れるためには「同性愛者だ」などということは言ってはいけないという業界の「掟(おきて)」がありました。それでも、そんな掟や暗黙の了解を打ち破り、勇気を持ってカミングアウトしてきたスターたちがいます。エルトン・ジョンは1970年代にバイセクシュアルであるとカミングアウトした大先輩であり、世界で最も成功を収めたアーティストでもあり、生きる伝説です(ちなみに同時代にデヴィッド・ボウイもバイセクシュアルだと述べましたが、のちに撤回しています)。
もう1人、1970年代のイギリスにはこんな人がいました。トム・ロビンソンは初めからゲイであることをカミングアウトして、全ての差別と闘うことを宣言したパンク・グループを結成。『Glad to Be Gay』という曲をリリースし、大ヒットさせました(堂々と「gay(ゲイ)」というワードをタイトルに入れた初めてのプライドソングだったのではないかと思います)。
1970年代にはほかにも、『Y.M.C.A.』などの大ヒットを飛ばしたグループ、ヴィレッジ・ピープルが登場しています。ひげのマッチョな男性たちが、カウボーイやレザーマンなどゲイテイストな衣装でディスコソングをパフォーマンスするという革命的なグループでした。なお、リードボーカルのヴィクター・ウィリスはストレート(異性愛者)なのですが、メンバーはおおむねゲイだったといわれています。
1980年代のイギリスでは、カルチャー・クラブのボーイ・ジョージ、ブロンスキ・ビートのジミー・ソマーヴィルやスティーヴ・ブロンスキ、ゲイの性行為を歌って放送禁止となった『Relax』で有名なフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのホリー・ジョンソンらが、ゲイまたはバイセクシュアルであることをカミングアウトしていました。
同性愛嫌悪が根強かった時代を経て……現在のポップシーンは?
一方、この時代に世界的なスーパースターとなっていたフレディ・マーキュリーが1991年に亡くなる直前までカミングアウトできなかったこと、そしてジョージ・マイケルが1998年に公衆トイレで逮捕されるまでゲイであると言えなかったことは、当時のホモフォビア(=同性愛嫌悪)が今よりずっと根強く、権利保障もほとんどなかった時代状況を考えると無理もなく、誰にも責められないことでした。1990年代にはほかにも、k.d.ラング、ペット・ショップ・ボーイズのニール・テナント、ジューダス・プリーストのロブ・ハルフォードらがカミングアウトしています。
2000年以降は、リッキー・マーティンのカミングアウトが大きなインパクトを与えましたし、ゲイであることをカミングアウトした上でメジャーデビューしたアダム・ランバート、バイセクシュアルとカミングアウトしているレディー・ガガほか、枚挙にいとまがありません。
現在ではサム・スミス、リル・ナズ・X、ブランディ・カーライルのように、グラミー賞を獲るアーティストも大勢活躍しています。キム・ペトラスというトランス女性のポップスターも登場しました。彼らの多くは、“カミングアウトしたほうが売れる”などということではなく、LGBTQコミュニティの仲間たちを勇気づけたいという気持ちでカミングアウトしています。
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