私たちは「時代ガチャ」に外れた? 若者が屈託なく「親ガチャ」を使う危うさを社会学者が指摘

親の経済力や文化的資源、資質や性格が、子どもの進学や進路を決定的に左右する。「持たざる」親の元に生まれた子どもは、人生の筋道が限定されてしまう――そのような状況が「親ガチャ」と表現されるようになった。「親ガチャ」という言葉がこれほどまでに流行してしまうようになった社会の在り方について、社会学者が考える。


親の経済力や文化的資源、資質や性格が、子どもの進学や進路を決定的に左右する。「持たざる」親の元に生まれた子どもは、人生の筋道が限定されてしまう――そのような状況が「親ガチャ」と表現されるようになった。

数百円を入れてハンドルを回すと、何が入っているか分からないカプセル玩具が出てくる販売機(ガチャガチャ)になぞらえた言葉である。もっぱら「ガチャに外れた」と感じる側が使う表現でもあり、だからこそ、「外れ」を挽回するための本人の努力や、人生の「機会」をそろえることの必要性がさまざまに論じられている。

このような状況は「ペアレントクラシー(=選抜に対する親の影響力が極めて強い体制)」と呼ばれるものでもあり、その傾向は日本社会でも次第に強まっていると、社会学の分野では分析されている。

だが日本社会でもかつては、これほどまでに親や家庭環境が大きな規定力を持つとはされていなかった。また世界を見渡せば、生育環境に左右されない人生を皆が送れるように制度を設計している社会がある。そう考えると、私たちが「親ガチャ」という言葉を使う羽目に陥ったのは、いわば「時代ガチャ」や「社会ガチャ」に外れたからなのだという言い方もできるだろう。

従って「親ガチャ」のために困難な状況が生み出されているならば、まずは何よりも親や家庭環境に責任を帰するような社会の在り方について、考え直す必要がある。
 

教育への公的支出が世界的にも少ない日本

教育を受ける環境について改めて見てみれば、そもそも経済的な面での個人差を反映させやすい状態になっていることがOECDによる各国比較からも分かるだろう。

例えば、日本では学校のクラスサイズが諸外国に比べて大きいことが指摘される。OECD加盟国ほか、ロシアやブラジルなど36カ国の初等教育における平均クラスサイズを小さい順に並べると、日本は1クラス当たり27.2人で36カ国中35位。OECD平均が1クラス当たり21.1人、EU22カ国平均が1クラス当たり19.7人であり、日本の1クラス当たりの児童数がいかに多いかが分かるだろう(※1)。
 
初等教育(小学校段階)の平均クラスサイズの各国比較(2019年)
(『Education at a Glance 2021』(OECD)p. 346をもとに作成)

より少人数で過ごせる環境を整えれば、教員はより細やかに受け持ちの児童・生徒の学習や生活を見ることができる。学習の不足を補うために塾に通い、そのことで家庭の経済状態による差が生まれるといった事態は、少なからず改善されるだろう。

だがクラスサイズを小さくするためには学校の教員の数が増やされる必要がある。日本の政策ではその面での財政支出を抑えることが続けられている。

試験のため、受験のために勉強をするといった学習観についても、反省すべきことが多いかもしれない。もっぱら高度経済成長期に、「役に立たない」「暗記もの」こそが「受験学力」だと割り切ったことで、日本ではある種の能力主義に基づいた選抜・選別の仕組みを合理的に作動させることができた。

しかし学習目的を単純化すれば、そのゴールに向かう競争は早期化し、目的に特化した環境にある方が優位となる。試験のため、受験のための個人的な環境整備への私財の投入がますます過熱する。他方で、学んでいる内容それ自体について深く吟味し理解するような学習は、試験や受験に役立たないという理由によって、十分に取り組まれない社会になってしまった。
 

高度経済成長を終えて「格差」が顕著になった理由

高度経済成長の時代には、多くの人びとが生活水準の上昇を経験することができ、それが試験や受験を頑張ったことと結び付けられることによって、競争主義が妥当なものとされた。

公平な社会にする制度が整っていなくとも、各家庭がそれを肩代わりし個々人が頑張ることで、より上位の社会階層に至ることができると考えられた。多くの人が「自分は中流に属している」という意識を持ち得たことには、公的な環境整備を後回しにさせた面もあったのである。

しかしながら、フランスの経済学者、トマ・ピケティによれば、人間社会の歴史において自然な経済成長とは年率1%程度であり、それ以上のパーセンテージで経済の成長が見られる場合には、大災害などによるダメージの回復や、急激な人口増加といった現象が背景に指摘できるという。その意味では戦後日本の高度経済成長は、団塊世代の成長という明確な「人口ボーナス」によるものであった(ピケティ『21世紀の資本』)。

ボーナス効果は一定の時期が過ぎれば消失し、定常化の時代となる。1990年代以降、社会の中の格差の存在が指摘されるようになり、人びとの間の生活経験の相違が著しく見えるようになったのは、相対的に多くの人びとに実感されていた上昇移動の感覚(「エレベータ効果」という)が失われ、階層構造が明瞭に見えるようになったからである。

「親ガチャ」という言葉を使わなければならない状況は、そのようにして用意されたといえる。
 

>次ページ:「親ガチャ」の危うさとは。「ガチャ」の構造を改めるために
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