高畑勲監督が『かぐや姫の物語』のキャッチコピーを「間違い」だと言った理由。「姫の犯した罪と罰。」とは何か

『かぐや姫の物語』のキャッチコピーには「姫の犯した罪と罰。」とありますが、それを高畑勲監督が「間違っています」と言っていたことをご存じでしょうか。その事実および本編の描写から作品のテーマを考えることは、とても意義のあることだと思うのです。「(画像出典:『かぐや姫の物語』作品静止画より)

※以下、『かぐや姫の物語』本編の結末も含むネタバレに触れています。ご注意ください。

「感情移入できる物語にする」狙いは「無理難題」のシーンからも分かる

では、出来上がった『かぐや姫の物語』で高畑監督はその罪と罰よりも、何を描きたかったのかでしょうか。それは以下の高畑監督の言葉に集約されています。

『竹取物語』には描かれていないウラがあって、それを解明すれば、原作の筋立てをほとんど変えないまま、かぐや姫に感情移入さえできる、ほんとうの"物語”を物語れるのではないか、というのがこの企画なんです。それは、かぐや姫が"罪”だの"昔の契り"だののために地上におろされた、という原作の言葉から、「なぜ、何のために、かぐや姫は地上にやってきたのか」を読み解けばよい。実は僕は五十数年前、それがぱっと読み解けた気がしたんです。
そのヒントは月と地球の違いです。原作に書いてあるとおり、月は清浄無垢で悩みや苦しみがないかもしれないけれど、豊かな色彩も満ちあふれる生命もない。もしもかぐや姫が、月で、地上の鳥虫けもの草木花、それから水のことを知ったら、そして人の喜怒哀楽や愛の不思議さに感づいたら、地球に憧れて、行ってそこで生きてみたくなるのは当然じゃないかと。

『ジブリの教科書19 かぐや姫の物語』 より

「"罪”だの"昔の契り"だの」という言葉からは、やはり高畑監督の「そこは主題ではない」という意思表示を感じます。そして、「感情移入さえできる、ほんとうの"物語”を物語れる」ことこそが、高畑監督の狙いだったのです(しかも、それは五十数年前にも考えたことがある)。
かぐや姫
(C) 2013 Isao Takahata, Riko Sakaguchi/Studio Ghibli, NDHDMTK
確かに、『竹取物語』のかぐや姫は感情移入がしにくい人物です。例えば、「求婚してきた貴公子たちに無理難題を与える」場面を取り出せば、ただ意地の悪い女性なのですから。

しかし、この『かぐや姫の物語』では、貴公子たちの「ものの例え」を聞いたかぐや姫が、「その得難い宝を私にお持ちください。その方と私は結婚します」と返答しています。つまり、原作にあった無理難題が「結婚をしたくないがための口実」に変わっているのです。
かぐや姫
(C) 2013 Isao Takahata, Riko Sakaguchi/Studio Ghibli, NDHDMTK
「見ず知らずの女性に美辞麗句を並べて結婚を求められることへの嫌悪感」ということから感情移入がしやすくなっていますし、それは同時に、結婚する女性の本質を捉えず、まるでトロフィーのように扱うことへの痛烈な批判にもなっています。

しかも、その無理難題を与えた貴公子の1人は、命を落としてしまいます。「自分のせいで死んでしまった」という苦悩はどれほどのものなのか……彼女の嫌悪感は、ここで「自分自身」にも向けられてしまったとも言えるでしょう。

女性の抑圧や男性からの加害性をはっきりと描いている

さらに、そのかぐや姫の嫌悪感が極に達した、それどころか「月に帰りたい」と本気で願うことになったのは、御門から後ろから急に抱きしめられ、あまつさえ「私がこうすることで喜ばぬ女はいなかった」と言われた場面でした。
そのかぐや姫には、捨丸兄ちゃんと一緒になるという「違った生き方ができた」可能性もありました。しかし、結局は自分を押し殺すように宮中の掟に従っていくしかなく、現代では性犯罪と断言できること(平安時代では当然のように行われていたであろうこと)までもが強要されていたのです。

そもそも「望まない結婚を至上の喜びだと勝手に言われてしまう」どころか「生き方を強制されてしまう」のは、現代にも残念ながら存在する、悪しき男性優位の風習そのものです。それを持って、本作はかぐや姫を1人の感情移入がしやすい女性として描くと同時に、女性の抑圧や男性からの加害性をはっきりと描いているからこそ、フェミニズムの精神もはっきりと表れている作品になっています。

同時に、「貴公子の死こそがかぐや姫の罪だった」「望まない生き方をすることが彼女への罰だった」という解釈も可能でしょう。しかしながら、やはり高畑監督の意向および本編の内容を思えば、その罪と罰はあくまでテーマを描くための「前提」にすぎず、究極的には重要ではない、やはりかぐや姫を「女性としての苦しみを背負った存在として描く」ことこそが重要だったと思えるのです。
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「弁証法」「現実原則」の高畑監督だからこその作品になっている
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